Memo

No.332
好奇心旺盛、視野狭窄、せっかち、ゴミみたいなプライド

最近思うこと、今回は特に散文。

私は常にやりたいこと(半分くらいは本気じゃなくて気のせいだと思う)が多すぎるんだけど、まぁ当然それら全部を極めている時間も要領の良さもあるわけがなく…。

そういう時、すべて手放す(やめる)んじゃなくて、目標を落としてもいいのかなと思った。

今目標を下げるべき対象なのは手芸関係なのかな。

手芸はこのサイトを作る前、絵を描くのを長いことやめてた時期に、行き場を失って肥大化した創作意欲と発表欲のはけ口として始めたもの。
あみぐるみから始めて、ソーイング(ドール服)…と食指を伸ばしてきたけども。
(余談だけどほんとの最初は音楽やろうとして、これはすぐ不向きとわかってやめました…;)

当初は”絵の代わり”として始めたことなので、最終目標は当然「自分の作風を確立して設計段階からすべてを考えて自作してどっかで発表なり販売なりする…!」だったのだけど。

line

このサイトを作ったことでまた純粋な創作意欲は絵に戻ってきているのに、まだ手芸にも高い目標をセットしたままだったから全部中途半端でパンパンになってるような。

手芸はまだ新しい趣味だから、まだまだ全然低い所でも楽しめる余地があるのにいろいろ焦りすぎてたな。
手芸本に載ってる作品とかをそのまま作ったりせいぜいちょっとアレンジして楽しむことでも十分癒されるし楽しい。
販売さえしなければ、「この本見て作りました!」って発表しても許される世界なんだから、発表欲だって満たせるんだし。
(メルなんちゃらとかいう無法闇市のことは知らん)

けど絵は一応長いことやってきてしまってるので、流石に模写してスケッチしてそれで満足♪…とはいかなくて、やっぱり自分のタッチで自分の中に溢れてる何かを出さないと気が済まなくて…。
そのためには練習する時間も必要で…この辺は「何のためにスケッチや練習をするのだろう」で話したからここでは割愛するけども。

…これ結局また「足るを知る」という結論に行きつくのかな。
最近なにかとこの結論になることが多い。創作に限らず、生活とか、人生においても。

目標を高くするのは、物足りなくなったタイミングでいいのでは。
最初から運動負荷30にする馬鹿がおるか…!とまたリングフィットに教訓を得る奴…。

とりあえずもっと長いスパンで物事を嗜むことができるようになりたいよね。なんでもかんでも焦りすぎなんだ。
手芸とか極めるまでに10年レベルで楽しめる趣味なのにねぇ。

昔から、若くして成功している人を見て焦るとか、「何気なく始めたら成功しちゃいましたぁ☆★はわわ」みたいな人を見て焦るというのはよくあることだけど、近年はソーシャルなんちゃら(私はこれを見てないから間接的にだけども)や、Youなんちゃらのせいで、ごく一部の成功例を見せつけられる機会が多すぎる。

自分は自分だし、純粋に楽しかったことをつまらないことに自分でなり下げるのはもうたくさんだ…。


#めんどい思考 #モチベーション #趣味 #創作全般