Memo

No.388
もっとストーリーのある絵が描きたい

絵を描くのをゲームをするくらいの気楽さで習慣にできるようにしたいと常々思っているのですが、今年は少しそれに近づくことができたと思います。

私が絵を描く時に腰が重いと思ってしまう理由っていろいろあるのですが、大きいところでいうと

  • ①練習のために描くのをもったいないと思ってしまう(=引き出しが増えない)
  • ②描きたいもの(あるいは自分の世界観)がこれといってない(=目的がない)


最近の理由はこの辺だと思っています。
少なくとも今は個人サイトのみの活動で、人の反応や数字などが心理的な枷になることはほとんど全くと言っていいほどないです。

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描くのは楽しいんだけど、いまいち動機づけがないのかな。
ちょっと調子のいい時期を過ぎると、「結局描いてどうするんだろうオバケ」がやってくる、という堂々巡りを長年無限ループしてしまっています。

それでいよいよ、「生きてる意味ってなんだろう」って考えても考えなくても結局生きるしかないのと同じで、描く意味なんて考えずに描くしかないのかもと思い至りました。
できそうなことは、考える暇がないほど当たり前の習慣にしてしまう(①の解決)か、描く動機づけを強くする(②の解決)なのではと考えました。

①はジェスドロを始めたことや、いろんな描き方を試行錯誤しているうちに、練習絵というか人に見せない絵を描くことも楽しめるようになってきたので、次は②に着手したいなと。

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具体的には、ストーリー性のある絵を描けるようになりたいです。
キャラクターデザインを練る、背景を描く、一枚絵としてのデザイン性を高めるなど、どんなアプローチでもいいのですが、描く前によく考えて描くようにしたいのです。

特に最近は、綺麗なだけの絵ならAIにも描けるんだし、その逆方向をやりたいと思うようになりました。
基本的にへそ曲がり者なので、トレンドの逆張りをしたくなってしまうというのも正直あります。

それから、自分の描いたキャラクターをあみぐるみ化したいという野望もずっとあるのですが、いつもキャラクターを手癖で描いていて、あまりデザインを拘って練ったりしないので、あみぐるみ作りもイマイチやる気がしないという悪循環が起きています。その流れも断ち切りたい。
とにかく焦ってもいいことがないというのがやっとわかったので、一つの作品を(なんなら練習でも)ゆっくり考えてのんびり構えて作っていきたいと思うようになりました。

確かに人生って限られているけど、焦っても良いものはできないので結果的に遠回りなんですよね。
以前、高速道路のサービスエリアのトイレに「時速80kmでも100kmでも到着時間は変わりません!!(=安全運転しろよ!)」というポスターが貼ってあるのを見ました。
理屈はよくわかりませんが感覚的にしっくり来た例えなので、焦った時はこのポスターのことを思い出しています。
もっというなら、時速80km出せなくてもブレーキさえ踏まなければいつかは到着できます。ブレーキ踏んでもまた走り出せればいいです。そういうイメージがしやすいので私はこのポスターがとても好きです。

逆に、ゆっくりにこだわるあまり自分のキャパを超えて完成度を追求しすぎるようになると、それはそれで描くのがしんどくなってくるのは経験済みなので、あくまでフットワークは軽く、日記とかにさらっと挿絵を入れたりするようなことは引き続きやりたいです。

…欲張りすぎ?

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それができるようになったら、あるいは順番が逆かもだけど、絵でも手芸でもなんでもいいんだけど、本や制作物の頒布など、何か形になるものを作りたい。

今まで、絵に限らずインターネット出身のクリエイターを見慣れすぎていたせいか、「好きに描く(or 作る or やる)→結果として作品や仕事になる」という流ればかりがイメージにありました。
もちろんそれも今風だし夢のある話ですが、もっと素朴な形というか、「こんな作品集を作りたいから描く、こんな仕事(活動)をしてみたいから想定して動く」というアプローチのことはすっかり頭から抜けていました。…いや、見ないようにしてただけかな?
上手くいくかはわからないけど、試してみる価値は大いにあると思います。

今更プロのイラストレーターになりたいわけではないけど、作品をインターネット上の孤島(このサイト)に載せておくだけではなく、何かしらの形で自分の絵や作品を使って現実の社会に参加(影響)することはしたいと常々思っています。

今日までそれができていないのは、技術的な問題よりも、心理的に抱えている問題の方が大きいと思っているので、ゆっくりでいいからそこに切り込んでいきたいです。

というのも、絵を描くスキルを使って何か対外的な活動をしたいと思った時に、技術的な課題があることは当然自覚していますが、それはプロ含め誰にでも言えることでいつまでも青天井な課題でもあり、「技術(画力)がこれ以上になったら絵を使って何かしていいよ」という合格ラインのようなものがあるわけではないからです。
これは絵とかに限らず、個人でできることかつ人の安全や法律に関わらないことならほぼ何にでも当てはまるのでは。(たとえば食品とかは「好きだからお店出しま〜す」はダメですけど。そんな事件がありましたね、今年は。)

また当然その逆も然りで、必ずしも技術的に優れていなければ絵を使って対外的な活動をしてはいけないということも客観的事実としてありません。
技術力どころか、魅力や個性すらないとしても、本人がやりたいと思っていて積極的に行動できるならできてしまう、行動できなければどれだけ研鑽してても一生地中に埋まっているしかないのが創作の世界なのだと個人的には思います。
(でも私は「一生地中で創作」の権化とでもいうべきヘンリー・ダーガーの生き様にとてもシンパシーを感じるので、必ずしも表舞台に出ないことが悪いとは思いません。それじゃあ報われないなぁ、とは思いますが。)

実際、絵を描いて少しでもお金を稼ぎたいというだけならば今すぐストックイラストなりコミッションするなり投げ銭サービスの利用などをすればいいだけで、インターネット社会の今、そこに参入障壁はないのです。
今の時代って、本当に言葉通りの意味で「やりたいかやりたくないか」、「できるかできないか」だけが壁なんじゃないでしょうか。
できない・やらない言い訳をさせてくれないのです。

にもかかわらず、私は長年インターネットおえかきマン以上のことができない自分にかなりのもどかしさを感じているので、そこの殻をもういい加減破りたい。
(インターネットお絵描きマンが悪いとは思わないけど、おそらく自分はそれじゃ満足できないと思う。)

来年中にそれを実現するのは正直難しいし焦ってもろくなことがないのはわかっているので、来年はその「殻を破るための何か小さな具体的アクション」にでも取り掛かりたいといったところです。
まだ、何も思いつかないけど。

…ちなみにサイト作る前の自分の日記には「Youtubeやりたい」とか書いてあったくらいなので、私の〇〇やりたいは全く当てになりませんのであしからず。。(予防線)


#めんどい思考 #創作全般 #モチベーション #自分語り