Memo

タグ「モチベーション」[46件]
最近忙しくてあまりサイトを更新してなかったけど、サイトの更新にはやっぱり瞑想効果みたいなのが確実にあるなぁと思った。

最近は妙に頭が散らかるというか、自分に必要ないものまで必要な気がしていろいろと欠乏感におそわれたり異常に不安になってしまったりした。

しょっちゅうここで日記を更新してる時はそういう感覚は薄れていて、自分の本質に自分を繋ぎ止めておけてる感じがしてたのだけど、サイトから離れるとその紐が切れて本当に大切なものがふわーっとどっかにいってしまって、自分は人波に飲まれて溺れていくような感覚になる。。

#モチベーション #めんどい思考
「アイデンティティがない 生まれない らららら」

布や毛糸で3Dプリンターみたいなことができる技術来たら、もう私の趣味はことごとくテクノロジーに奪われてしまうことになるな。
軽く調べたら、もうそういう技術の芽みたいなのは既にあるようだし、時間の問題だなきっと。

AIに服のデザイン生成させる→布3Dプリンターで即印刷みたいなの、近い将来普通に実現してしまいそう‥。

フリマアプリでAI生成と思われる図案を使った手芸キットなどを大量出品している業者風アカウントをいくつか見つけてしまったし、平面ではもう既にクラフト界にもAI産業革命が起き始めてるから立体物も時間の問題。

続きいつにも増して暗いです。

line

個人的にはAIに仕事が奪われるとかより、趣味や生きがいを奪われる方がよっぽど怖いと思う。
仕事なんて楽になるに越したことないからむしろ技術革新大歓迎派だし。

どちらも、奪われたら新しいことをするようになるだけと言われたらそれまでなんだけど。まだそう簡単に割り切れない。
それでいくと、仕事が趣味です生きがいですみたいな感覚の人もこれからアイデンティティクライシスでつらいだろうな。

やりたくないことは楽になったら嬉しいけど、好きでやってることが楽になりすぎるとこんなにも虚しいのかと。
好きなことでは適度に苦労したいのかもな、人間って。

実際に手を動かすことで何かを創って自己実現するような趣味に対しては逆風が吹く時代になったのかな。
ちょっと乱暴な例えだけど、同じクリエイター気質でも、原作者(アイデアマン)タイプには追い風、作画(職人)タイプには不遇というか。
なんか前も同じこと書いたような気がするけど、昔の文章恥ずかしくて読み返せないので許して‥。

一昔前だったら、まさか創造が消費より虚しいという感覚に一時的でもなるなんて想像もつかなかった。
もちろん気のせい、そう錯覚してしまってる部分もあるだろうけど。

私も今やAIでソースコード生成したり、神経割きたくないことには定型文生成してもらったり、おそらく他にも意識してないところでも恩恵をたくさん受けてるので、技術革新自体は否定してないけど、なんかもう、ただただ寂しい感覚。

うまく言語化できないけど、とてもちっぽけで虚しい。いろいろと。
こういうのって、自意識過剰ってやつなんだろうな。この言葉、何回言われたことか。


 #AI #めんどい思考 #趣味 #不便益 #創作全般 #モチベーション
最近全然絵を描いてなかったけど、久々に自分のスケッチブックをパラパラと見て「やっぱり絵を描くって良い趣味だなぁ」としみじみしたのでぼちぼち再開しはじめました。

好きなもの(じゃなくても)をスケッチしてそれが冊子状にまとまってるってだけでキュンとするんだよな。

何になるってわけでもないけど、ただただ自分にとって心地いいことだからそれを低空飛行でも継続するって尊いことなんだなぁと改めて思ったりもした。

#モチベーション #創作全般
ついにハンドメイド界隈にまでAI生成画像が出回り始めた。。
一瞬気づかなかったけど、たとえばあみぐるみ系だと3DCGで作ったモデルに妙に均一な毛糸のテクスチャ当てたような感じで、妙に綺麗で無機質なセットの中で撮影されてて、一見ハンドメイド風なのに温かみがなくて、一度気づいてしまうともう違和感が凄まじい。

ハンドメイドなんて手作りすることに意味があるのに画像だけAI生成して何がしたいんだろう。
そういった画像のリンク先を踏むと、広告たっぷりの無料編み図配布の(といいつつ肝心の編み図はほとんど何もない)中身のない海外サイトに飛ぶから、そういうPV稼ぎのためのスパム行為目的なのかな。

私自身、このサイトを作った初期に、形に残るものが作りたいから最近はデジタルイラストよりハンドメイドに傾倒してる的なことを言った記憶があるので(思ってただけで書いてなかったかもだけど)、こういう使い方をされてしまうとそこすらも侵されたような気分になってどうしても愉快ではいられないなぁ。

ハンドメイドは”この世にたった一つの現物がちゃんと存在する”という部分は生成AIには絶対侵せない強みなんだけど、現物の展示とか販売じゃなくて「作品の写真をネットで発表する」という楽しみ方をメインにしていたらそこは正直結構モチベーションが削がれるよね。

#AI #めんどい思考 #創作全般 #モチベーション
ギャラリーからファンアート等の掲載を取り下げていましたが、やっぱり戻すことにしました。

すっきりした綺麗なサイトを作りたかったのではなく、多少ごちゃごちゃしてしまっても自分の好きなものや、やってきたことが詰まったサイトを作りたいという初心に還ろうと思ったからです。
うん、やっぱりこの方がしっくりくる。動線悪そうなのでいずれ改装はしたいけど。。

ドール関係で作ったものやハンドメイド作品なんかも、いずれちゃんと撮影してギャラリーに載せたいなと思っています。
ドールやハンドメイド系はサイト分けた方がいいのかなと思うこともしばしばあるのだけど、前も言ったようにドール遊びや手仕事とイラストを描くことは自分の中で地続きなので分けることに違和感があるのです。
切り離すことがあるとすれば、現実との繋がりができるようなこと(販売とか)をする時なのかなぁ。

サイト内でブログを分ければいいんだろうけどそれは以前やってあまり上手くいかず、今の「てがろぐになんでも放り込んで後からギャラリーで整理する方式」だと不思議と気楽に更新ができるのです。

一応自分の中ではここはイラストサイトじゃなくて「ものづくりが好きで考え事が多い人のライフログサイト」というつもりで始めたことなので、(嫌でない方は)お付き合いいただければ幸いです。

#モチベーション #お知らせ
もっとストーリーのある絵が描きたい

絵を描くのをゲームをするくらいの気楽さで習慣にできるようにしたいと常々思っているのですが、今年は少しそれに近づくことができたと思います。

私が絵を描く時に腰が重いと思ってしまう理由っていろいろあるのですが、大きいところでいうと

  • ①練習のために描くのをもったいないと思ってしまう(=引き出しが増えない)
  • ②描きたいもの(あるいは自分の世界観)がこれといってない(=目的がない)


最近の理由はこの辺だと思っています。
少なくとも今は個人サイトのみの活動で、人の反応や数字などが心理的な枷になることはほとんど全くと言っていいほどないです。

line

描くのは楽しいんだけど、いまいち動機づけがないのかな。
ちょっと調子のいい時期を過ぎると、「結局描いてどうするんだろうオバケ」がやってくる、という堂々巡りを長年無限ループしてしまっています。

それでいよいよ、「生きてる意味ってなんだろう」って考えても考えなくても結局生きるしかないのと同じで、描く意味なんて考えずに描くしかないのかもと思い至りました。
できそうなことは、考える暇がないほど当たり前の習慣にしてしまう(①の解決)か、描く動機づけを強くする(②の解決)なのではと考えました。

①はジェスドロを始めたことや、いろんな描き方を試行錯誤しているうちに、練習絵というか人に見せない絵を描くことも楽しめるようになってきたので、次は②に着手したいなと。

line

具体的には、ストーリー性のある絵を描けるようになりたいです。
キャラクターデザインを練る、背景を描く、一枚絵としてのデザイン性を高めるなど、どんなアプローチでもいいのですが、描く前によく考えて描くようにしたいのです。

特に最近は、綺麗なだけの絵ならAIにも描けるんだし、その逆方向をやりたいと思うようになりました。
基本的にへそ曲がり者なので、トレンドの逆張りをしたくなってしまうというのも正直あります。

それから、自分の描いたキャラクターをあみぐるみ化したいという野望もずっとあるのですが、いつもキャラクターを手癖で描いていて、あまりデザインを拘って練ったりしないので、あみぐるみ作りもイマイチやる気がしないという悪循環が起きています。その流れも断ち切りたい。
とにかく焦ってもいいことがないというのがやっとわかったので、一つの作品を(なんなら練習でも)ゆっくり考えてのんびり構えて作っていきたいと思うようになりました。

確かに人生って限られているけど、焦っても良いものはできないので結果的に遠回りなんですよね。
以前、高速道路のサービスエリアのトイレに「時速80kmでも100kmでも到着時間は変わりません!!(=安全運転しろよ!)」というポスターが貼ってあるのを見ました。
理屈はよくわかりませんが感覚的にしっくり来た例えなので、焦った時はこのポスターのことを思い出しています。
もっというなら、時速80km出せなくてもブレーキさえ踏まなければいつかは到着できます。ブレーキ踏んでもまた走り出せればいいです。そういうイメージがしやすいので私はこのポスターがとても好きです。

逆に、ゆっくりにこだわるあまり自分のキャパを超えて完成度を追求しすぎるようになると、それはそれで描くのがしんどくなってくるのは経験済みなので、あくまでフットワークは軽く、日記とかにさらっと挿絵を入れたりするようなことは引き続きやりたいです。

…欲張りすぎ?

line

それができるようになったら、あるいは順番が逆かもだけど、絵でも手芸でもなんでもいいんだけど、本や制作物の頒布など、何か形になるものを作りたい。

今まで、絵に限らずインターネット出身のクリエイターを見慣れすぎていたせいか、「好きに描く(or 作る or やる)→結果として作品や仕事になる」という流ればかりがイメージにありました。
もちろんそれも今風だし夢のある話ですが、もっと素朴な形というか、「こんな作品集を作りたいから描く、こんな仕事(活動)をしてみたいから想定して動く」というアプローチのことはすっかり頭から抜けていました。…いや、見ないようにしてただけかな?
上手くいくかはわからないけど、試してみる価値は大いにあると思います。

今更プロのイラストレーターになりたいわけではないけど、作品をインターネット上の孤島(このサイト)に載せておくだけではなく、何かしらの形で自分の絵や作品を使って現実の社会に参加(影響)することはしたいと常々思っています。

今日までそれができていないのは、技術的な問題よりも、心理的に抱えている問題の方が大きいと思っているので、ゆっくりでいいからそこに切り込んでいきたいです。

というのも、絵を描くスキルを使って何か対外的な活動をしたいと思った時に、技術的な課題があることは当然自覚していますが、それはプロ含め誰にでも言えることでいつまでも青天井な課題でもあり、「技術(画力)がこれ以上になったら絵を使って何かしていいよ」という合格ラインのようなものがあるわけではないからです。
これは絵とかに限らず、個人でできることかつ人の安全や法律に関わらないことならほぼ何にでも当てはまるのでは。(たとえば食品とかは「好きだからお店出しま〜す」はダメですけど。そんな事件がありましたね、今年は。)

また当然その逆も然りで、必ずしも技術的に優れていなければ絵を使って対外的な活動をしてはいけないということも客観的事実としてありません。
技術力どころか、魅力や個性すらないとしても、本人がやりたいと思っていて積極的に行動できるならできてしまう、行動できなければどれだけ研鑽してても一生地中に埋まっているしかないのが創作の世界なのだと個人的には思います。
(でも私は「一生地中で創作」の権化とでもいうべきヘンリー・ダーガーの生き様にとてもシンパシーを感じるので、必ずしも表舞台に出ないことが悪いとは思いません。それじゃあ報われないなぁ、とは思いますが。)

実際、絵を描いて少しでもお金を稼ぎたいというだけならば今すぐストックイラストなりコミッションするなり投げ銭サービスの利用などをすればいいだけで、インターネット社会の今、そこに参入障壁はないのです。
今の時代って、本当に言葉通りの意味で「やりたいかやりたくないか」、「できるかできないか」だけが壁なんじゃないでしょうか。
できない・やらない言い訳をさせてくれないのです。

にもかかわらず、私は長年インターネットおえかきマン以上のことができない自分にかなりのもどかしさを感じているので、そこの殻をもういい加減破りたい。
(インターネットお絵描きマンが悪いとは思わないけど、おそらく自分はそれじゃ満足できないと思う。)

来年中にそれを実現するのは正直難しいし焦ってもろくなことがないのはわかっているので、来年はその「殻を破るための何か小さな具体的アクション」にでも取り掛かりたいといったところです。
まだ、何も思いつかないけど。

…ちなみにサイト作る前の自分の日記には「Youtubeやりたい」とか書いてあったくらいなので、私の〇〇やりたいは全く当てになりませんのであしからず。。(予防線)


#めんどい思考 #創作全般 #モチベーション #自分語り
天才にもおとずれるプラトーの正体とは? | 脳にまかせる勉強法 | ダイヤモンド・オンライン

停滞期について「プラトー現象」という正式名称があること、恥ずかしながら初めて知った。
今まさにここにいるということがわかってちょっと安心した。

記事の中にも書いてあるように、これを知ってると知らないじゃ全く心構えも変わってくるよね。
「 怖いのはプラトーに対する無知により、そこであきらめてしまうことです。」 そう、何度それで諦めたことか。

賢い人って、きっと日頃から行き詰まった時にこういうふうに冷静に分析して対処してるんだろうな。

吉田誠治先生も「絵は右肩上がりのグラフじゃなくて階段状に上達する」って言ってたけどまさにこのことだ。

今の私にできるのは、階段の次の段があることを信じて登るのをやめないことだけ。。

ネットを見てしまうと、もう既に成熟している人や、今まさに脂が乗っている時期の人がポンポンと作品を安定供給している(ように)見えてすごく焦る。
しばらくネットをやめるというか、ホワイトリスト式にしてもいいのかも。

#モチベーション #創作全般
近況 2023秋

全体的に暗いので注意。

見出し。
  • 名探偵ピカチュウ
  • プライム感謝祭でiPad Airを買った
  • 絵が描けない
  • 寒い
  • 最近のこれはいいぞと思ったもの


名探偵ピカチュウ
激ハマりというわけでもないけど可愛いし楽しいので1日30分くらい切りのいいところまでちまちま進めてる。
デデちゃん出てきた時可愛すぎて全セリフスクショしてしまった。

最近の私は、ティアキンみたいに電子ドラッグ的にどハマりするゲームか、そうでなければ途中で放ってしまうものが多かったので、こういうまったりペースで継続できるゲームは結構珍しいかも。

私はあまり画面酔いしない方だけど、このゲームは高速移動をするとめちゃくちゃ画面酔いする。

line

プライム感謝祭でiPad Airを買った
3年前に買った無印iPad32GBモデルが(イラスト制作用途としては)性能限界を迎えてたので、いい加減乗り換えたいと思ったタイミングの矢先。
Apple Pencilまでセールだったのは嬉しい。

絵を描くモチベが過去一レベルで高まってるのに新型出るまで待つのは機会損失だし、円安戻るか様子見するのも同様に機会損失。
そこに世界規模の情勢不安ときたものだから、今後価格が上がることはあっても下がることはもうしばらくないだろうなと踏んだ。

ほんとは大きい画面のProが良かったけど、画面サイズ(とホバー機能)以外は完全にオーバースペックでAirとの差額分の価値が自分には感じられなくてかなり迷っていたので、そのタイミングでAirのセールは渡りに船だった。Airの方が色も可愛いし。(そういうの結構モチベに直結するタイプなので…。)
ベッドで横になって描くことも多いので、Proだとかえって重くておっくうになって描かなくなる可能性がちょっと怖かったというのもあります。

前のiPadもハードとしてはまだまだ健康で、動画や電子書籍視聴機としては全く問題なく使えるので母にあげることにした。
電子機器全般が大の苦手だった母が、最近は頑張ってパソコンやスマホを使いこなそうとしているのを見ると微笑ましい。
iPadも楽しんで使ってくれたら嬉しいな。

セールをするということは多分すぐに新型が出るんだろうな。
スペック的には現状のM1モデルで十分だと思ってるので、多少アップグレードしたものが出ても想定の範囲内だし要らないから構わないんだけど、もし「iPad Air Plus」みたいな、スペックはAirレベルのミドルクラスで画面だけでかいモデルが直後に出たら悔しくて脳が溶けるとおもう。

過去には液タブ買ったり最近は板タブ買ったり、コスパ重視でデジ絵を描けないかといろいろ小細工したものの、やっぱり私はiPadじゃないと描けないのでいい加減腹をくくることにした。
しかもApple製品は基本頑丈で長持ちするから長い目で見るとそんなに割高でもないんだよな。(私みたいにケチって32GBモデルとか買わなければの話…。 128GBの方買ってたらあと3年以上は余裕で使えたと思う)

安物買いの銭失いするのほんと私の悪い癖だ。
これからの時代は特に、ちゃんと質のいいもの・かつそれが本当に自分に必要かどうかよく考えて買って、そういうものを長く大事に使っていくようにしたい。

絵が描けない
いや、描いてるんだけども。
絵を描くモチベが過去一高まってるとか言った舌の根も乾かぬうちにって感じなんだけど、要は作品と言えるような絵が描けなくなった。

このサイトはそういう時の習作やド落書きでも載せるスタンスでやってきたけど、心境の変化があって今はもうあまりそういうものを載せたくないと思うようになってきた。

描きたいもの・やりたいことを見失ってる時期に入ってしまった。
描いてても「これ描いてどうすんの…?」って声が頭の中でするようになってしまう。

以前はこういう時、絵を描くこと自体やめてしまい毎回画力とモチベのグレートリセットが入ってしまってたので、その反省を踏まえて、何かしら描くことだけはしている。ジェスドロとかスケッチとか。。
そういう筋トレ的な習慣で描くこと自体は全然辛くないし楽しいのだけど、作品として仕上げようとすると「こんなもの描いてどうすんの」さんが出てくる。

スランプになるのはそれだけ描くことに真剣に向き合ってる証拠なんだと思うことにする。

多分、人に何か伝えたいという動機が弱いんだろうな私。(こんな長文書いといて何を…)
いや昔は人一倍そういうのが強い子だったけど、もう「伝える」ということを根っこから諦めてしまったように思う。

次に何か上げる時は全然違う絵になってるかもしれない。
あまり人からどう思われるかを気にしたくなくて個人サイトを作ったのに、結局そういうことを少なからず気にしてしまう。
うちはマイペースでやってますって顔してても、ゼロにはできない。これはもう性分なんだろうな。
最初の頃の楽しさ100%で描いてた絵を好きだと思ってくれてた人は、今の私に失望しているんじゃないかとか、頭をよぎってしまう。

寒い
急に寒くなった。着るものがない。
GUでカービィのルームウェアとルームソックスを買った。可愛い。でもGUにしては高すぎてビビる。
iPad高すぎ問題にも通じるけど、最近ものの値段が何もかも上がりすぎてて引く。
なんでもかんでも安けりゃいいとは思わないけど、不当に高掴みさせられてる感が凄まじい。

それからニトリで冬用のかけ布団を買った。あまりにももちもちでほんと気持ちいい。ニトリは布団屋さんだった。
ふとんにかんしては本当にお値段以上だと思う。すごい。

体的には夏より冬の方がマシなんだけど、冬はいかんせんメンタル落ちるのがね・・
夏は気持ちは元気なのに体が追いつかないからそれはそれであれなんですが。

あと涼しくなって空調消すようになったから、家の中が静かになりそれに比例して外の騒音がすごく気になるようになった。
神経質を(投薬とか以外で)和らげる方法ないかね。おおらかというだけで100倍くらい楽に生きられそうなのに。

最近のこれはいいぞと思ったもの
イタリアンプリン+ホイップクリーム
サイゼでイタリアンプリンを持ち帰りして、ホイップクリームをかけると美味しい。
プリンが半解凍状態だと最高。

スタンディングデスク
立って作業するようにしたら、驚くほど体の調子がいい。
ずっとしつこく悩まされてた股関節痛もほんの数日でみるみる治った。体感でいうと95%くらい。痛かったのを忘れてるレベル。
疲れたら横になって休憩してる。椅子に座るのは本当に体に悪いんだなぁと痛感した。


#めんどい思考 #名探偵ピカチュウ #モチベーション #創作全般
お絵描きタイムスリップ

昔のイラストフォルダ(残ってたのはごく一部だけだけど、15年前~7年前くらいのもの。ALL二次創作)が出てきたので何気なく眺めてたらいろいろこみあげるものがあって、思わず時間を吸われてしまった。

初期のものはへたっぴだけど、描いてるキャラクターが本当に好きだったこととか、自分なりに描き方を試行錯誤していろいろ工夫していることとか、成長しているのを楽しんでいる様子とかが絵からも伝わってきて、自分でほっこりしてしまった。

この頃はモバゲータウンの日記やサークルにイラストをよく投稿していて、特に「Photoshop利用者のサークル」みたいなところが、オタクに限らずDTPやってる人とかいろいろな人とまったり交流&技術話できて楽しかった思い出。

今思うと当時ネットにいた人たちってわざわざ相手してくれて優しかったな…。

line

中期は今よりもよっぽど丁寧に描いていて、デジタル的な技術力向上にも貪欲だったし、キャラクターだけなら正直今より上手いんじゃないかって思うものもちらほらあったんだけど(当時は上手くなることだけが偉い・凄いと思ってたので。。)、この頃の私はこの時期に始めてしまった某大型イラストSNSの評価が全てで、いわゆる「爆死」の悔しい思い出しかなくて、当時の絵を見てるとその感覚を思い出して胸がキュッとしてしまう。
あとはイラコンに出してもカスリもしなかったものもあったり。。
そういう”客観的指標”を、いまだにドライに切り離して考えられないので、まさか10年経っても自分の絵を見ただけでふたたび当時の流れ弾を喰らうとは…。
もうあと少なくとも5年は過去絵フォルダを開くのはやめようと思った。。

後期は現Xに高頻度で投稿して何かしらの反応を貰うことが全てだったので、仕上げもクソもない駄作をとにかく量産するのに必死で、今見ても当時の絵から何も響くものがなくて我ながら驚いた。そんな動機で、描いてるキャラクターにも失礼だ。
(厳密には仕上げ云々は、楽しく描いてるなら別にどうでもいいと今は思う派ですが…)

最初の方に投稿した絵がたまたま下手に伸びてしまったので、ずっとそのヤクを求め続けたジャンキーみたいになってたな。本当に何のために描いてるのかがわからなかった。絵どころか、何のためにここ(SNS)にいるんだろう、この人たち誰なんだよ…って時々冷静になるんですが、承認欲求はそれ以上に人の脳をマヒさせる。

中期と違って自分なりに真剣に絵に向き合ってたということもないので、当時の絵を見てもあまり伸びなくて悔しかったみたいな気持ちは皆無で、代わりに情けなくて恥ずかしくなります。。
今思えば最初にたまたま伸びた一枚も、SNSアカウントを作る前に純粋に楽しみながら描いたものなので、以降鳴かず飛ばずだったのはさもありなんという感じ。

中期~後期の承認欲求でなりふり構わない時期に生成AIがあったら手を出してた気もするので、やっぱり私はあまりこの件について偉そうなこと言えないや。。

そこからさらに末期の絵はもう一目で病んでるのが伝わってきて、見てはいけないものを見てしまった時みたいなダメージを喰らってしまった。

line

末期で一つの限界を迎えた私はそれから、絵を描くこととインターネット上で何か発信することに約5年のブランクを空けます。
その時期単に私生活がキツかったというのもありますが。鶏が先か、卵が先か。
そこからどうしてだか忘れたけど、毒が抜けたのかまたふと絵を描きたくなって、当時はまだ安かったiPadを買って、その数年後にこのサイトを作って、今に至って…。

今は自分の好きなものを追求するため、自分を癒すため、自分の創意工夫や成長の軌跡を楽しむために描いていて幸せです。この気持ちを忘れないようにしたい。

こうして改めて振り返ってみると、絵を描く作業自体が嫌だった時期って殆どなくて、競わされることや評価・順位付けされることから逃れられないことと、好きなものを書けないこと、自分のペースを乱されたりゆっくり内省する時間がなくなることが嫌いだっただけで(今思えば学校の美術の授業も似たような理由で嫌いでした)、それらと絵を描くことをちゃんと切り離せる環境に身を置けばいいだけのことだったんだな、と。


#思い出 #自分語り #モチベーション #めんどい思考 #平成 #インターネット #愚か者
1 2 3 4 5