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タグ「めんどい思考」[35件]
最近忙しくてあまりサイトを更新してなかったけど、サイトの更新にはやっぱり瞑想効果みたいなのが確実にあるなぁと思った。

最近は妙に頭が散らかるというか、自分に必要ないものまで必要な気がしていろいろと欠乏感におそわれたり異常に不安になってしまったりした。

しょっちゅうここで日記を更新してる時はそういう感覚は薄れていて、自分の本質に自分を繋ぎ止めておけてる感じがしてたのだけど、サイトから離れるとその紐が切れて本当に大切なものがふわーっとどっかにいってしまって、自分は人波に飲まれて溺れていくような感覚になる。。

#モチベーション #めんどい思考
「アイデンティティがない 生まれない らららら」

布や毛糸で3Dプリンターみたいなことができる技術来たら、もう私の趣味はことごとくテクノロジーに奪われてしまうことになるな。
軽く調べたら、もうそういう技術の芽みたいなのは既にあるようだし、時間の問題だなきっと。

AIに服のデザイン生成させる→布3Dプリンターで即印刷みたいなの、近い将来普通に実現してしまいそう‥。

フリマアプリでAI生成と思われる図案を使った手芸キットなどを大量出品している業者風アカウントをいくつか見つけてしまったし、平面ではもう既にクラフト界にもAI産業革命が起き始めてるから立体物も時間の問題。

続きいつにも増して暗いです。

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個人的にはAIに仕事が奪われるとかより、趣味や生きがいを奪われる方がよっぽど怖いと思う。
仕事なんて楽になるに越したことないからむしろ技術革新大歓迎派だし。

どちらも、奪われたら新しいことをするようになるだけと言われたらそれまでなんだけど。まだそう簡単に割り切れない。
それでいくと、仕事が趣味です生きがいですみたいな感覚の人もこれからアイデンティティクライシスでつらいだろうな。

やりたくないことは楽になったら嬉しいけど、好きでやってることが楽になりすぎるとこんなにも虚しいのかと。
好きなことでは適度に苦労したいのかもな、人間って。

実際に手を動かすことで何かを創って自己実現するような趣味に対しては逆風が吹く時代になったのかな。
ちょっと乱暴な例えだけど、同じクリエイター気質でも、原作者(アイデアマン)タイプには追い風、作画(職人)タイプには不遇というか。
なんか前も同じこと書いたような気がするけど、昔の文章恥ずかしくて読み返せないので許して‥。

一昔前だったら、まさか創造が消費より虚しいという感覚に一時的でもなるなんて想像もつかなかった。
もちろん気のせい、そう錯覚してしまってる部分もあるだろうけど。

私も今やAIでソースコード生成したり、神経割きたくないことには定型文生成してもらったり、おそらく他にも意識してないところでも恩恵をたくさん受けてるので、技術革新自体は否定してないけど、なんかもう、ただただ寂しい感覚。

うまく言語化できないけど、とてもちっぽけで虚しい。いろいろと。
こういうのって、自意識過剰ってやつなんだろうな。この言葉、何回言われたことか。


 #AI #めんどい思考 #趣味 #不便益 #創作全般 #モチベーション
ついにハンドメイド界隈にまでAI生成画像が出回り始めた。。
一瞬気づかなかったけど、たとえばあみぐるみ系だと3DCGで作ったモデルに妙に均一な毛糸のテクスチャ当てたような感じで、妙に綺麗で無機質なセットの中で撮影されてて、一見ハンドメイド風なのに温かみがなくて、一度気づいてしまうともう違和感が凄まじい。

ハンドメイドなんて手作りすることに意味があるのに画像だけAI生成して何がしたいんだろう。
そういった画像のリンク先を踏むと、広告たっぷりの無料編み図配布の(といいつつ肝心の編み図はほとんど何もない)中身のない海外サイトに飛ぶから、そういうPV稼ぎのためのスパム行為目的なのかな。

私自身、このサイトを作った初期に、形に残るものが作りたいから最近はデジタルイラストよりハンドメイドに傾倒してる的なことを言った記憶があるので(思ってただけで書いてなかったかもだけど)、こういう使い方をされてしまうとそこすらも侵されたような気分になってどうしても愉快ではいられないなぁ。

ハンドメイドは”この世にたった一つの現物がちゃんと存在する”という部分は生成AIには絶対侵せない強みなんだけど、現物の展示とか販売じゃなくて「作品の写真をネットで発表する」という楽しみ方をメインにしていたらそこは正直結構モチベーションが削がれるよね。

#AI #めんどい思考 #創作全般 #モチベーション
運動してもメンタルは強くならない

ちょうど1年くらい前にリングフィットを始めたのを皮切りに、ジャストダンスやったり、最近はフィットボクシングも追加したり。
ドナルドダックのようだったお尻がすっかりマライア・キャリーのモノマネ芸人を始めてもいいくらいには重力に逆らい始めました。(要はとにかく尻がでかい)
元々運動嫌いだった身にしては上出来レベルの運動習慣がついたと我ながら思っているのですが、この辺りでちょっと悲しい真理(少なくとも自分にとっては)に気づく。

タイトル通り。
運動してもメンタルは強くならない。

よく「筋トレしたらメンタルつよつよになったよ!みんなもやろう!」的な話を聞くけど、本当にそうなのだろうか?と。

でも抑うつ的な症状は確かに良くなる、と言う話。

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元々私が運動始めた動機はだいたい下記の通り。

  • ① 将来の生活習慣病が怖い 【将来の健康リスクへの対処】
  • ② 肩こりひどかった 【現状の不健康因子への対処】
  • ③ 運動すればメンタルが強くなると聞いて 【精神改造】
  • ④ あわよくば引き締まったかっこいい体になりたい 【肉体改造】
  • ⑤ 慢性的疲労感で何もやる気がしなかったのでエンジンをかけるため 【体力増強】


なので仮に③がダメだとしても今後運動を続けるモチベーションはあるのだけど…。

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運動したら確かにある面ではメンタルに良かった。
それは主に抑うつ的な症状から来るものに対してだと思う。

寝床から出られない、最低限の家事や自分自身の世話ができない、趣味や好きなことくらいはやりたいのにどうしてもできない、買い物に行けないetc...

そういう、本来の元気な自分ならできるけど、うつ病などの精神疾患由来でできなくなってしまったこと、いうなれば「デバフがかかってしまった状態」で制限されてしまったことは、運動で体が整うことでできるようになる。
単純に体力がついて行動できるキャパが増えるんだろうし、ホルモンがどうとかもいろいろあるんだろうけどよく知らないから余計なことは言わないでおく。
(その辺はアンデシュ・ハンセン先生の「運動脳」とかを読むといいかも。)

これは私が運動習慣に期待した効果のうち、「⑤慢性的疲労感で何もやる気がしなかったのでエンジンをかける」に対しての効果ではあったけど、「③運動すればメンタルが強くなる」とはまた別の話なんだよな。

真面目気質だと心身の不調のせいでできないことを自分の至らなさとして自責する傾向があると思うので、運動して体が整ったことにより身の回りのタスクが自分でできるようになって、少なくともその点については自責しなくなる、だから自己肯定感が上がる、という意味ではメンタルに良いと言えそうではあるけど。

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「メンタルが強くなる」をどう定義するかにもよるけど、私の場合は、

  • ・ストレス耐性が強くなる
  • ・悪意をさらっとかわすことができる
  • ・理不尽な状況に冷静に対処できる
  • ・傷つきにくくなる
  • ・悩みにくくなる
  • ・不安に陥りにくくなる
  • ・ポジティブ思考になる
  • ・いい意味での鈍感力がつく
  • ・些細なことでくよくよしない
  • ・自己肯定感が高くなる
  • ・言いたいことがはっきり言える


…的な感じだと思っていて、筋トレすることで上記のような人格になることを少し期待していたので、正直そういった効果は運動にはほぼ無いと言わざるを得ない。

相変わらず、嫌なことがあればずっと引きずるし、人と会話した後はずっと脳内反省会してるし、嫌なタスクがあるとそれを知った日から何も手につかないし、理不尽な言葉や要求のボールが飛んできたら頭が真っ白になって何も返せないし、常に何かしら自責しているし、常に何かしら不安だし。

全部憶測で言うけど、筋トレや運動で「(上記に挙げたような意味で)メンタルが強くなった」という人は、おそらく一時的な高揚感による気のせいか、元々の気質がそっち寄りだったというだけなんじゃないかなぁ。
運動不足やストレス等でかかっていた”デバフ”が筋トレで取れただけなのでは、と。
もしくは、人によっては見た目が大きく変わったりするから、それで周囲との関係のパワーバランスが変わったことにより自信をもって振る舞えるようになった、それを「メンタルが改善した」と認識しているとかかな。

めちゃくちゃ偏見で言いますけど、そもそも良くも悪くもメンタルが強い・傷つきにくいタイプの人ってあまり運動とかしてないイメージがあるんですよ。
筋トレしてる人って繊細だったり、真面目だったりする自分の防壁としてトレーニングしてる人が多そうで、その元々の気質って深いところでは変わってない印象があります。

体の筋肉を鍛えても心の筋肉は鍛えられない、別物というか。
心を鍛えたいならやっぱり考え方自体を変えるトレーニングを日常的に意識するとか、色々な意味で「心臓に毛が生えた」ような人たちの中で揉まれて渡り歩くような生活をする方が効果的なんじゃないかなぁ…と。
そこまでしてメンタル強くする必要がそもそもあるのかという話なんですが。
最近は弱メンタルの人に対する理解が昔よりもあって、生きやすくなっている面もあると思うので。

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結局何が言いたかったのかというと、元々の気質はそう簡単に変えられない、という当たり前のことに気づいただけなんですが、ちょっと世の「筋トレ万能説」が行きすぎている気がしたので、現状の自分のリアルな実感を記録しておきたいなぁ、と思っての乱文・散文でした。

結論、運動で心身のデバフは取れるけど、バフはかからない。
言い換えると、心身の”不調”は良くなるけど、現代社会で生きやすい”人格”になったりはしない。


#メンタル #健康 #自分語り #めんどい思考
自分のこと嫉妬深いとか僻みっぽいと思ってたけど、単にものすごく負けず嫌いなだけなのかも。

じめっとしてるから畳もう。

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人の持ってる成功、豊かさ、才能は一通り羨ましくなって悔しくなるけど、そこを自分が取って代わってやりたいとか、人を蹴落としてまで自分が上に行きたいとも思わないし、たとえ嫌いな人でも不幸になってほしいとか失敗してほしいとは思わない。
というか自分が嫌いな人でも他から総叩きにあってたりすると同情してしまうんだよな…。
昔から「ざまぁw」みたいな感覚がほぼ全くない…。お人好しなだけかもだけど。

多分8種体癖だと思う。
めんどいほどに負けず嫌いなんだけど競争はほんとに大嫌いという。
…じゃあもう何と戦ってるんだろう???


#自分語り #めんどい思考
もっとストーリーのある絵が描きたい

絵を描くのをゲームをするくらいの気楽さで習慣にできるようにしたいと常々思っているのですが、今年は少しそれに近づくことができたと思います。

私が絵を描く時に腰が重いと思ってしまう理由っていろいろあるのですが、大きいところでいうと

  • ①練習のために描くのをもったいないと思ってしまう(=引き出しが増えない)
  • ②描きたいもの(あるいは自分の世界観)がこれといってない(=目的がない)


最近の理由はこの辺だと思っています。
少なくとも今は個人サイトのみの活動で、人の反応や数字などが心理的な枷になることはほとんど全くと言っていいほどないです。

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描くのは楽しいんだけど、いまいち動機づけがないのかな。
ちょっと調子のいい時期を過ぎると、「結局描いてどうするんだろうオバケ」がやってくる、という堂々巡りを長年無限ループしてしまっています。

それでいよいよ、「生きてる意味ってなんだろう」って考えても考えなくても結局生きるしかないのと同じで、描く意味なんて考えずに描くしかないのかもと思い至りました。
できそうなことは、考える暇がないほど当たり前の習慣にしてしまう(①の解決)か、描く動機づけを強くする(②の解決)なのではと考えました。

①はジェスドロを始めたことや、いろんな描き方を試行錯誤しているうちに、練習絵というか人に見せない絵を描くことも楽しめるようになってきたので、次は②に着手したいなと。

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具体的には、ストーリー性のある絵を描けるようになりたいです。
キャラクターデザインを練る、背景を描く、一枚絵としてのデザイン性を高めるなど、どんなアプローチでもいいのですが、描く前によく考えて描くようにしたいのです。

特に最近は、綺麗なだけの絵ならAIにも描けるんだし、その逆方向をやりたいと思うようになりました。
基本的にへそ曲がり者なので、トレンドの逆張りをしたくなってしまうというのも正直あります。

それから、自分の描いたキャラクターをあみぐるみ化したいという野望もずっとあるのですが、いつもキャラクターを手癖で描いていて、あまりデザインを拘って練ったりしないので、あみぐるみ作りもイマイチやる気がしないという悪循環が起きています。その流れも断ち切りたい。
とにかく焦ってもいいことがないというのがやっとわかったので、一つの作品を(なんなら練習でも)ゆっくり考えてのんびり構えて作っていきたいと思うようになりました。

確かに人生って限られているけど、焦っても良いものはできないので結果的に遠回りなんですよね。
以前、高速道路のサービスエリアのトイレに「時速80kmでも100kmでも到着時間は変わりません!!(=安全運転しろよ!)」というポスターが貼ってあるのを見ました。
理屈はよくわかりませんが感覚的にしっくり来た例えなので、焦った時はこのポスターのことを思い出しています。
もっというなら、時速80km出せなくてもブレーキさえ踏まなければいつかは到着できます。ブレーキ踏んでもまた走り出せればいいです。そういうイメージがしやすいので私はこのポスターがとても好きです。

逆に、ゆっくりにこだわるあまり自分のキャパを超えて完成度を追求しすぎるようになると、それはそれで描くのがしんどくなってくるのは経験済みなので、あくまでフットワークは軽く、日記とかにさらっと挿絵を入れたりするようなことは引き続きやりたいです。

…欲張りすぎ?

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それができるようになったら、あるいは順番が逆かもだけど、絵でも手芸でもなんでもいいんだけど、本や制作物の頒布など、何か形になるものを作りたい。

今まで、絵に限らずインターネット出身のクリエイターを見慣れすぎていたせいか、「好きに描く(or 作る or やる)→結果として作品や仕事になる」という流ればかりがイメージにありました。
もちろんそれも今風だし夢のある話ですが、もっと素朴な形というか、「こんな作品集を作りたいから描く、こんな仕事(活動)をしてみたいから想定して動く」というアプローチのことはすっかり頭から抜けていました。…いや、見ないようにしてただけかな?
上手くいくかはわからないけど、試してみる価値は大いにあると思います。

今更プロのイラストレーターになりたいわけではないけど、作品をインターネット上の孤島(このサイト)に載せておくだけではなく、何かしらの形で自分の絵や作品を使って現実の社会に参加(影響)することはしたいと常々思っています。

今日までそれができていないのは、技術的な問題よりも、心理的に抱えている問題の方が大きいと思っているので、ゆっくりでいいからそこに切り込んでいきたいです。

というのも、絵を描くスキルを使って何か対外的な活動をしたいと思った時に、技術的な課題があることは当然自覚していますが、それはプロ含め誰にでも言えることでいつまでも青天井な課題でもあり、「技術(画力)がこれ以上になったら絵を使って何かしていいよ」という合格ラインのようなものがあるわけではないからです。
これは絵とかに限らず、個人でできることかつ人の安全や法律に関わらないことならほぼ何にでも当てはまるのでは。(たとえば食品とかは「好きだからお店出しま〜す」はダメですけど。そんな事件がありましたね、今年は。)

また当然その逆も然りで、必ずしも技術的に優れていなければ絵を使って対外的な活動をしてはいけないということも客観的事実としてありません。
技術力どころか、魅力や個性すらないとしても、本人がやりたいと思っていて積極的に行動できるならできてしまう、行動できなければどれだけ研鑽してても一生地中に埋まっているしかないのが創作の世界なのだと個人的には思います。
(でも私は「一生地中で創作」の権化とでもいうべきヘンリー・ダーガーの生き様にとてもシンパシーを感じるので、必ずしも表舞台に出ないことが悪いとは思いません。それじゃあ報われないなぁ、とは思いますが。)

実際、絵を描いて少しでもお金を稼ぎたいというだけならば今すぐストックイラストなりコミッションするなり投げ銭サービスの利用などをすればいいだけで、インターネット社会の今、そこに参入障壁はないのです。
今の時代って、本当に言葉通りの意味で「やりたいかやりたくないか」、「できるかできないか」だけが壁なんじゃないでしょうか。
できない・やらない言い訳をさせてくれないのです。

にもかかわらず、私は長年インターネットおえかきマン以上のことができない自分にかなりのもどかしさを感じているので、そこの殻をもういい加減破りたい。
(インターネットお絵描きマンが悪いとは思わないけど、おそらく自分はそれじゃ満足できないと思う。)

来年中にそれを実現するのは正直難しいし焦ってもろくなことがないのはわかっているので、来年はその「殻を破るための何か小さな具体的アクション」にでも取り掛かりたいといったところです。
まだ、何も思いつかないけど。

…ちなみにサイト作る前の自分の日記には「Youtubeやりたい」とか書いてあったくらいなので、私の〇〇やりたいは全く当てになりませんのであしからず。。(予防線)


#めんどい思考 #創作全般 #モチベーション #自分語り
もはや口コミも信頼できなくなってきたなぁ

口コミやレビューといってもいろいろですが、今回は特にGoogleMapなどで歯科医院や美容院などの口コミを見る時の話です。

最近は良いレビューが多いかどうかよりも

① 口コミ操作(MEO)してそうか
② あからさまに悪い口コミ(具体的なもの)が多くないか
③ 癖強系か

この辺をNG基準にして判断してます。

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①はそこ1件しかレビューしてないような不自然なアカウントがPRかってくらい丁寧にアピールしているor無言/短文★5している場合が多いのでかなり簡単に見分けられる。
仮に本物の患者(客)のアカウントによるものだったとしても、日頃レビューなんてしないような人ばかりがこぞってそこのレビューをしているという状況は不自然であり、なんらかの形で高評価レビューお願い圧をかけられている可能性が高いと思う。
それが美容室ならともかく歯科医院でやるのは③の癖強系にも該当すると個人的には思ってるのでダブルでアウト。

②は仮に悪い口コミが多少ついてても、一言「もう行きません」と書くだけなど具体的じゃなかったりするのは①の逆バージョンで、ライバル院による工作の一つだったりする可能性も高いので、他との総合判断にはなるけどさほど気にしない。
本当に悪い口コミは怒りのエネルギーを伴っているのでやはりすぐわかる。
レビューを書いている人の他のレビューも確認してみるのも参考になる。何にでもケチつけてる人とか結構います。

③は悪い口コミに対してオーナーサイドが必死に言い訳がましいレスバをしてたり(忙しいだろうに…)、日本語が怪しかったり、いいレビューには丁寧に返信して悪いレビュー(誠実なものでも)はガン無視とか。
逆に妙に丁寧すぎても嘘くさいなと思うことがある。慇懃無礼的というか。
あとは公式サイト開いた時の第一印象などで割と直感で見分けられることもしばしば。

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狙い目はレビュー数がやたら多すぎない(母体が大きいところや知名度があるなら別)、日頃からレビューをたくさんしているような「本物の」アカウントによる具体的で熱量のあるレビューがある、公式サイトの印象が良い(商売気があまりない、チャラチャラしてない)、とかかなぁ。
結局直感頼りなんだけど。

こういうのもAIによるフェイクレビューとかが今後台頭してまともな判断基準には使えなくなって、原始的な意味での口コミ頼りに回帰していくのかな。
画像検索とかもフェイク画像に汚染され始めてるなんて話も聞いたし。

自分自身も、いいところは身内にこそ熱心に勧めるけどわざわざレビューなんてしないしなぁ。

…なんのサイトだここ。


#めんどい思考
壁のハエになる

今、「Chatter」という本を読んでいます。
頭の中で半自動的に自己批判してしまったり、嫌なことをいつまでも考え続けるのを何とかしたくて読み始めました。

まだ半分くらい読んだところなのですが、翻訳本特有のくどさと読みにくさはあるものの、既にいくつか読んで良かったなと思える考え方に出会えました。

中でも気に入っているのが、この記事のタイトルにもした「壁のハエになる」という考え方です。
(どうでもいいけど「ハエ」って打った時にハエの絵文字をサジェストされるのは気持ち悪いからやめてほしい。。)

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何か嫌な思考に囚われているとき、「自分を客観的な視点で見た方がいい」というのはよく言われることですが、言うは易く行うは難し。
私は昔から考えすぎマンの自覚があるので、いろいろな気分切り替え法の知識だけはありますが、いざという時に実践できるものなんてほとんどなかったです。
アンガーマネジメントとか嘘だろあんなんと思ってます。(あれは激昂型の人にはいいのかも?)

でもこの「自分が壁のハエになったことを想像して、自分(と周囲)の姿を観察する」という考え方は不思議と馴染むことができました。
人からの貰い事故みたいな悪意に晒されたときとか、ものすごくショックなことに対応できるかはわからないですが、少なくとも自分の中から批判的な声が湧いてくるのを鎮めるのには即効性がありました。

本の中でも言われていますが、嬉しいときや楽しい時にハエになっちゃダメです。
楽しい時にそれをやると、「今は楽しくてもどうせいつかしぬ」とか、「こんなことして何の生産性もなくない?」とか、虚しくなるだけなので、楽しい時は頑張って楽しい思考に囚われにいきましょう。

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そして先日、それと同じような感覚をもっと簡単に&半強制的に味わえる方法を発見しました。
それは…

手近な高台に登って自分の家を見ることです。

自分や自分の囚われている問題がすごくちっぽけに見えます。
そして単純に高台は気持ちがいいのでリフレッシュできます。
プチ宇宙飛行士現象みたいな感じなのかもしれないですね。

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本を買って満足してしまう積読癖があるので、1日10分タイマーを掛けて、読む時間を作ってコツコツと読んでいます。
10分ってあっという間に過ぎてしまう割には意外と読める量が多くて、ちょうどいいペースです。
そして、読み終わるか読むのをやめると決めるまでは新しい本は買わないことにしました。


#読書メモ #めんどい思考
黒歴史って言う方が黒歴史なんだぞ! ほか。

過去に書いた文章で言葉が強すぎたものとか、何言ってんだこいつ状態のものをリライトするか非公開にしようかなと思ったりしつつも、その時腹の底から出た言葉はもうその時にしか出せなかったものなので、たかが未来の自分のいち判断で消すのもなんだかなぁという葛藤。

未来の自分の方が正しいっていうのは、なんか年功序列主義的で違うよなと。
経験値が多い=必ずしも正しいではないので。
むしろ頭固くなってつまらないジャッジをしてしまう可能性も少なくない。
過去の自分を浄化しようとするから自分が何者なのか見失うわけで。

ギャラリー整理の時も思ったけど、未来の自分が検閲し始めたら何も残らなくなるんだよな。。
1〜2週間以内くらいに「流石にこれは…」と思ったら消すけど、時間が経ったものは生き恥として刻んでおくべきという謎のポリシー。
過去に何も積み重ねてこれなかった反動なのだが。
それに、恥をかかずに創作なんてできないと割り切ってるので。。

後で「これ恥ずかしいな」と思っても、もっと後になると「やっぱりあの時からこういうこと考えてたじゃん!!!」って自分の中で再評価する流れになることもよくあるし、後から悟った気になった自分こそがもっと後から見ると真の黒歴史だったということが本当によくある。

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あとは、全然関係ない話。

ストックイラスト(イラストACとか)をやろうかなと思うことがたまにあるんだけど、なんだかんだでいつも思いとどまる。

あくまで素材として配布するのでおいそれとは取り下げできない(正当な理由がないとさせてもらえない)という性質上、落書きをぽんぽん投下するわけにもいかないし、時間かけて綺麗に描くくらいなら自分のための作品を描きたい。。

というか、実は過去に少しだけやってたことがあるんだけど、あそこは審査基準がブラックボックスだから審査に通らなかった理由を教えてもらえなくて、時間を掛けて専用に描くのは馬鹿馬鹿しいと思ったんだよな。

自分の作品用に作ったパーツの余りとかを投下するならやってもいいかも。
…まぁそんなもの殆どないから、結局やらなくていいやになるんだけど。。

自分の描いたものが自分でコントロールできない状態になる(他者の管理下に置く)ことを正式に許すってのが、自分の気質に合わなすぎるんだろうな。

話が少しズレるけど、私がSNS苦手なのって数字煽りや対人関係、比較のまな板の鯉になること、人の感情に飲まれることなどが理由だと思ってたけど、そもそも「作品を外部に投稿する」という概念自体もあんまり肌に合わないんだというのを、これ書いてて新発見。

生きづれー!🤡


#めんどい思考
近況 2023秋

全体的に暗いので注意。

見出し。
  • 名探偵ピカチュウ
  • プライム感謝祭でiPad Airを買った
  • 絵が描けない
  • 寒い
  • 最近のこれはいいぞと思ったもの


名探偵ピカチュウ
激ハマりというわけでもないけど可愛いし楽しいので1日30分くらい切りのいいところまでちまちま進めてる。
デデちゃん出てきた時可愛すぎて全セリフスクショしてしまった。

最近の私は、ティアキンみたいに電子ドラッグ的にどハマりするゲームか、そうでなければ途中で放ってしまうものが多かったので、こういうまったりペースで継続できるゲームは結構珍しいかも。

私はあまり画面酔いしない方だけど、このゲームは高速移動をするとめちゃくちゃ画面酔いする。

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プライム感謝祭でiPad Airを買った
3年前に買った無印iPad32GBモデルが(イラスト制作用途としては)性能限界を迎えてたので、いい加減乗り換えたいと思ったタイミングの矢先。
Apple Pencilまでセールだったのは嬉しい。

絵を描くモチベが過去一レベルで高まってるのに新型出るまで待つのは機会損失だし、円安戻るか様子見するのも同様に機会損失。
そこに世界規模の情勢不安ときたものだから、今後価格が上がることはあっても下がることはもうしばらくないだろうなと踏んだ。

ほんとは大きい画面のProが良かったけど、画面サイズ(とホバー機能)以外は完全にオーバースペックでAirとの差額分の価値が自分には感じられなくてかなり迷っていたので、そのタイミングでAirのセールは渡りに船だった。Airの方が色も可愛いし。(そういうの結構モチベに直結するタイプなので…。)
ベッドで横になって描くことも多いので、Proだとかえって重くておっくうになって描かなくなる可能性がちょっと怖かったというのもあります。

前のiPadもハードとしてはまだまだ健康で、動画や電子書籍視聴機としては全く問題なく使えるので母にあげることにした。
電子機器全般が大の苦手だった母が、最近は頑張ってパソコンやスマホを使いこなそうとしているのを見ると微笑ましい。
iPadも楽しんで使ってくれたら嬉しいな。

セールをするということは多分すぐに新型が出るんだろうな。
スペック的には現状のM1モデルで十分だと思ってるので、多少アップグレードしたものが出ても想定の範囲内だし要らないから構わないんだけど、もし「iPad Air Plus」みたいな、スペックはAirレベルのミドルクラスで画面だけでかいモデルが直後に出たら悔しくて脳が溶けるとおもう。

過去には液タブ買ったり最近は板タブ買ったり、コスパ重視でデジ絵を描けないかといろいろ小細工したものの、やっぱり私はiPadじゃないと描けないのでいい加減腹をくくることにした。
しかもApple製品は基本頑丈で長持ちするから長い目で見るとそんなに割高でもないんだよな。(私みたいにケチって32GBモデルとか買わなければの話…。 128GBの方買ってたらあと3年以上は余裕で使えたと思う)

安物買いの銭失いするのほんと私の悪い癖だ。
これからの時代は特に、ちゃんと質のいいもの・かつそれが本当に自分に必要かどうかよく考えて買って、そういうものを長く大事に使っていくようにしたい。

絵が描けない
いや、描いてるんだけども。
絵を描くモチベが過去一高まってるとか言った舌の根も乾かぬうちにって感じなんだけど、要は作品と言えるような絵が描けなくなった。

このサイトはそういう時の習作やド落書きでも載せるスタンスでやってきたけど、心境の変化があって今はもうあまりそういうものを載せたくないと思うようになってきた。

描きたいもの・やりたいことを見失ってる時期に入ってしまった。
描いてても「これ描いてどうすんの…?」って声が頭の中でするようになってしまう。

以前はこういう時、絵を描くこと自体やめてしまい毎回画力とモチベのグレートリセットが入ってしまってたので、その反省を踏まえて、何かしら描くことだけはしている。ジェスドロとかスケッチとか。。
そういう筋トレ的な習慣で描くこと自体は全然辛くないし楽しいのだけど、作品として仕上げようとすると「こんなもの描いてどうすんの」さんが出てくる。

スランプになるのはそれだけ描くことに真剣に向き合ってる証拠なんだと思うことにする。

多分、人に何か伝えたいという動機が弱いんだろうな私。(こんな長文書いといて何を…)
いや昔は人一倍そういうのが強い子だったけど、もう「伝える」ということを根っこから諦めてしまったように思う。

次に何か上げる時は全然違う絵になってるかもしれない。
あまり人からどう思われるかを気にしたくなくて個人サイトを作ったのに、結局そういうことを少なからず気にしてしまう。
うちはマイペースでやってますって顔してても、ゼロにはできない。これはもう性分なんだろうな。
最初の頃の楽しさ100%で描いてた絵を好きだと思ってくれてた人は、今の私に失望しているんじゃないかとか、頭をよぎってしまう。

寒い
急に寒くなった。着るものがない。
GUでカービィのルームウェアとルームソックスを買った。可愛い。でもGUにしては高すぎてビビる。
iPad高すぎ問題にも通じるけど、最近ものの値段が何もかも上がりすぎてて引く。
なんでもかんでも安けりゃいいとは思わないけど、不当に高掴みさせられてる感が凄まじい。

それからニトリで冬用のかけ布団を買った。あまりにももちもちでほんと気持ちいい。ニトリは布団屋さんだった。
ふとんにかんしては本当にお値段以上だと思う。すごい。

体的には夏より冬の方がマシなんだけど、冬はいかんせんメンタル落ちるのがね・・
夏は気持ちは元気なのに体が追いつかないからそれはそれであれなんですが。

あと涼しくなって空調消すようになったから、家の中が静かになりそれに比例して外の騒音がすごく気になるようになった。
神経質を(投薬とか以外で)和らげる方法ないかね。おおらかというだけで100倍くらい楽に生きられそうなのに。

最近のこれはいいぞと思ったもの
イタリアンプリン+ホイップクリーム
サイゼでイタリアンプリンを持ち帰りして、ホイップクリームをかけると美味しい。
プリンが半解凍状態だと最高。

スタンディングデスク
立って作業するようにしたら、驚くほど体の調子がいい。
ずっとしつこく悩まされてた股関節痛もほんの数日でみるみる治った。体感でいうと95%くらい。痛かったのを忘れてるレベル。
疲れたら横になって休憩してる。椅子に座るのは本当に体に悪いんだなぁと痛感した。


#めんどい思考 #名探偵ピカチュウ #モチベーション #創作全般
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