Memo

No.206
クリエイティブなんじゃなくて、ちょっと器用なだけ

先日、なんとなくノリでショッピングモールにある手相占いをやってもらいました。
特に相談したいこともなかったので、占い師さんの見たいように見てもらったのですが、そこで『クリエイティブ系の才能はない』とハッキリ言われてしまいました。

でも、この状況で昔だったら覚えたであろう悔しいとか納得いかないみたいな感情もなく、むしろ妙に腑に落ちてしまいました。
自分の中にしぶとくあった ”もしかしたらいつか自分の創造性が社会的に目に見える形で認められて活動できる機会があるかも(だからそれに備えて常に向上しなければならない)” みたいな未練や執着、ある種の義務感や使命感みたいなものがストンとなくなってスッキリしました。

うすうすわかってたのですが、私はクリエイティブだから絵を描いたりしているんじゃなくて、単にちょっと器用なだけなんですよね。器用貧乏の飽き性です。
自分の創造性の限界みたいなものは以前から感じていたので、「やっぱりか」という感じです。

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だからといってもう絵とか描くのやめようと思うでもなく、『才能がないなら、もう開き直って描きたいときに描きたいようにやればいいだけだなぁ』という解放感すら覚えました。
このサイトを作った時点でもう既にそういうモチベーションでしたが、背中を押されたというか、やっぱりその方向でよかったんだと言ってもらえたような気分ですね。

ちょっと器用なだけのつまらない発想の人間だけど、なんか描いたり作ったりするのは好き。それでいいじゃん、と。
不毛なレース(これも独り相撲の妄想なんだけど)からふわっと降りることができたような感覚です。

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小学生の娘のYouTube依存やめさせた“秘策”が話題 逆転の発想に「目から鱗」(ENCOUNT) – Yahoo!ニュース
このあたりの感覚は、最近読んだこの記事にも通じるものがあります。
Youtube依存気味の子供に「毎日2時間Youtubeを見ること、そしてその感想を逐一報告すること」を義務付けたらYoutube依存がなくなったという内容です。

娯楽って義務化されちゃうと一気につまらなくなってしまいますよね。
創作に限らないですけど、私の場合は自分で自分に義務を課してしまって好きだったものを勝手につまらなくしてしまうことが本当によくありました。
好きなことややりたいことを楽しく続けていくためには、いかに自由にやれ(てる気分になれ)るかが大事なのかもしれません。

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すべてを鵜呑みにしたわけでもないし、当たってる云々とかいうより、この件に関しては自分が潜在的に気づいてたけど見ないようにしてた視点にピントを合わせてくれるいい機会になったと思ってます。

ちなみに手のシワ情報によると、私は管理職とか店長とかが向いてるらしいです。
プレイヤーじゃなくてマネージャー向き、スペシャリストじゃなくてゼネラリストとのこと。
それなのに究極のスペシャリスト+プレイヤーであるクリエイター系への憧れに未練タラタラでいたら、確かにいつまでも無能感に打ちひしがれるかもなぁ。魚が富士山登ろうとするようなものだもの。

まぁ、手のシワが当たっていればの話ですが…。一部心当たりはあるもののやっぱり自分の経験と肌感覚的にはあまりしっくりこないですね;

あと115歳くらいまで、死んでも仕事してるような仕事人間だとも。笑
ブラッシュアップライフのバカリズムみたいに、あの世のお役所勤めでもしているのでしょうか。


#創造性 #モチベーション #創作全般