Memo

カテゴリ「べらべら」[99件](7ページ目)
けっきょく、おたく。(近況とか)

今年に入ってからサイトの更新ペースがガクんと落ちてしまいましたね。
年末の挨拶とかしちゃうと一つ心理的な区切りになって心の中で何かが完結してしまった感が出たようなのでしない方が良かったかも。

モチベーションにムラがある性格のために必ずこうなる時が来るのはわかってましたが、このサイトは作ってから半年くらいの間ほぼノンストップで更新してこれていたのでもしかしてこのままずっと走り続けられるのか…?と思ったものの、やっぱりついにこの時が来たか、という感じです。

サイトに飽きたというより、とにかく創作意欲が湧きません。
一応創作のサイトだから、創るものがなければ更新することも当然なく。

今までは絵を描く気がしない時は手芸をしたりしていたけど、今回は手芸関係も作りたいものが全く浮かばない、やる気がしない…。
今までの私だったらここでサイトを消してしまっていたと思いますが、このサイトは「ただ存在し続ける」ことを目的に作られたため、一応まだ踏ん張れそう。

創作意欲が湧かない時は無理に絞り出したりしないで放っておくことにします。
どうせまた何か描いたり作ったりしたくなるから。焦らない、焦らない。
他の人が創作しているのを見て焦る…という機会に殆ど晒されないのがサイト作ってよかったことです。
とはいえ、生きていればネット以外の場所でも当然そういう機会はあるので、焦りゼロとはいきませんが。

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そんな現在の私ですが、創作意欲に向けられなくなったエネルギーの行き場がどこに行ったのかというと、美容と健康ですね。創作意欲が落ちるのと、鵜が先か卵が先か忘れてしまいましたが…。

私、昔から美容室が大の苦手なんですよ。(唐突)
あの薄っぺらい社交辞令会話と、若いアシスタントさんが入れ代わり立ち代わり施術してきてそのたびに同じようなうっすい会話がイチから繰り返されるのがもう耐えられなくて。(向こうもお仕事なのはわかるのですが…)
それに希望のスタイルを伝えるのも上手くできないから、高いお金払って微妙な髪形になって疲れて帰ってくる場所という感じで。
だからもう一年くらい行ってなかったんですが、流石に限界、もうコロナも言い訳にできない感じになってきた…と、先日腹をくくって行ったところが、腕もホスピタリティも凄く良い美容師さんで、余計な会話もなく、説教臭い押し付けもなく、それでいてこちらのイメージ通りかつ扱いやすいスタイルにしてもらえて、すごーーーーくハッピーな気分になれたんです。

髪型がスッキリしたら堰を切ったみたいに、コロナを言い訳に堕落しまくり生活習慣病一歩手前のひどい健康状態&食生活とか、体内年齢70歳とか言われてしまうくらいまでに落ち切った筋力とか、平成の時代から殆ど意識を変えてなかったヘアメイクとかそういうのが全部気になって気になってたまらなくなってしまい、それらにまつわる本を読んだりYoutube見たりして調べたり、研究したり実践したりする方にエネルギーを全部持っていかれてる感じです。

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昔から、エネルギーの出し分けができないのです。よく言うならば常にエンジン全開タイプ。(かといってエネルギー量が高いタイプではないですが…)
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↑エネルギー出力についての雑な図解

私って最近のアニメ・マンガとか全然興味ないし、「推し」がいるわけでもないし、ちょっとポケモンとゲームが好きなくらいで、今の時世でいう「オタク」と言っている人たちとは別カテゴリーの人間だと思ってるのですが、こういう所はほんと根っからの”オタク気質”だよなぁと思ってしまうのです。

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そんなこんなでいろいろ見た最近の中でも、私が特に影響を受けたのは、メイクアップアーティスト兵藤小百合さんのチャンネルです。
他の美容系Youtuberって(そんなにたくさん見たわけではないですが)、本人バイアスが掛かっているものが多くて、確かに可愛くて素敵なメイクをされる方が多いですが、自分も真似してみようという気にはあまりならない方が多いのです。「それってあなたの場合ですよね?」みたいな。あと単純に年齢層や趣味が違うとか。

ですが、さゆりさんは流石プロのメイクさんなだけあって、年齢や好きな系統に関係なく学べることが本当に多いし、商品紹介もただ「私はこれが気に入ってるからオススメ!」というだけじゃなく、どういう人にどんな風にオススメなのか凄くロジカルで理にかなった説明をしてくれるのです。紹介されたもの全部欲しくなるから困る。

特に、これまでメイクを殆どしたことがなかった女性と一緒にメイク道具一式を買いに行く動画が凄く好きです。
最初は緊張でガチガチだったゲストの女性が後半メイクしていくにつれてどんどん笑顔がこぼれてくる感じとか本当に見ているだけで元気もらえます。
(アスカノ原作で雪ちゃんが翼君のメイク道具を一緒に買いに行くシーンともちょっと重ねてしまいます。)

私も見てるうちにウズウズしてきて、これ見た足でそのままアットコスメストアに駆け込んでしまいました。



まーでも正直、アットコスメストアはいまいちでした。笑 あまりにも見づらい。

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最後に余計な一言だけど、サイトの広告は別に剥がさなくても良かったかなぁ。(一つ前の記事の話)
ちょっと見えない敵と戦いすぎてた感が。
紹介したいものがあったらアフィリンクとかはまた貼るかもです。情緒不安定ですまんの。


#モチベーション #オタク
サイト内の広告を剥がしました

年の瀬の大掃除もかねて、自分で設置したくせに以前からもやっとしていた自サイトのバナー広告を剥がしました。

きっかけは、他のウェブサービスやアプリを利用しているときに、有料プランがなく、かつ広告ブロックもすり抜けてくるときに『お金を払うから広告を撤去してくれ!!』と思うことがあまりにも多かったのですが、自分のサイトでもまんま同じことをやってることに気づいたからです。

Amazonアソシエイトリンクをどうするかは迷い中。
過去に貼ったものをわざわざ剥がしてまわることはしないですが、今後はあまりべたべたと貼らないようにしていこうかなと思ってます。
理由は自分が好きじゃないから、それで十分です。
ただ、書影や商品画像なんかを合法的に引用して貼れる手段でもあるので、必要があるときは貼ることになると思います。

活動の収益化方法はまた別途考えます。
元々収益化が目的ではなかったですし、自分が本来あまり心地よく感じていなかったはずの広告ビジネスを「今どきはみんなやってるし…」だのなんだのいろいろ自分で理由を付けて正当化していることに気づいた、というかやっと向き合えました。
頭の良い人には鼻で笑われてしまいそうですが、多分私は物を作って/サービスを提供してそれを直接売ると言ったような素直で素朴なやり方が合っているんだと思います。(実際にやるかは未定として。サイトはそれ自体がやりたくてやってるので赤字でも構いません。)

やりたいことを好きにやれるのが個人サイトのいいところですが、やりたくないことをやらないという静かな意思表示をできたり、トレンドに従わなくて済んだりするのもまた良いところです。

お金のために納得感のないことをするって、趣味の活動で一番やってはいけないことでした。
(広告収益のビジネスモデルに納得してやっている人に対してどうこういうつもりは全くありません。)
百歩譲って広告が収益を生んでいたならともかく、全くといっていいほど収益化にもなっておらずサーバー代の足しにすらなっていなかったので、居心地の悪い思いをしながら広告を貼り続ける理由も皆無でした。
現在このサイトは個人サイト用サーチエンジンなどにも登録していないですし、特にSEO対策などもしていないので露出度はかなり低く抑えられており、そもそも”数打てば当たる”の広告収益化モデルとは相性が悪いです。

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最後にちょっとだけ宣伝。
当サイトではこちらのページより、Amazonギフト券による直接支援を受け付けております。

大した活動はしていないですが、もし金銭の形で応援してもいいよという方がおられましたら、匿名で利用できますのでお気兼ねなくお送りいただけると幸いです。
また、本年ご支援くださった方には改めてお礼申し上げます。本当に励みになりました。
そもそもこのサイトを見てくれている方が本当にいたということ自体に驚いてしまいました。

それでは、よいお年を。


#モチベーション
突然のときメモ語り

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すっかり忘れてたけど、春頃にときメモに大ハマりしてたことをNintendoからの粋なメールで思い出しました。
実はまだ全くやってないキャラが2人います。

うち1人は風真くんですね。メインビジュアルも務めているキャラクターということでシナリオも濃そうだったし、最後にやろうと残しておいたらその前に飽きちゃった感じです。
未プレイキャラ+DLC含めたらゲーム全体の50%くらいしか遊んでなさそうなので、また機会があったらプレイしてもいいかも。

攻略キャラクターでは大地くんが好きでした。爽やかでほっこりしたので。
初見プレイでガソスタでバイトしているうちにとんとん拍子に大地くんと仲良くなり、このまま大地くんエンドだろうなと思っていたのに、卒業式の後突然先生に告白されてフリーズしたのはいい思い出。
微妙に大地くんの必須条件を満たせてなくて、その傍で優等生してたら先生の条件を満たしてしまったっぽい。

卒業式後に唐突に先生から下の名前呼び捨てにされるし、エンディングではまだ一度も見たことのない先生の私服や笑顔のイラストがさも「いい思い出だったね」風に次々に流れてくるという事態に頭が全く追いつかず終始ポカーンとしてました…
最後の相合傘に「バレバレだっつーの!先生♡マリィ」的なことを書かれて囃し立てられても完全に事実無根で噂の独り歩き怖いみたいな気分になるというね。
(後から周回プレイで先生のイベントちゃんと回収したらとても良かったです。)

シナリオが面白かったのは先生+ヒムノリ+ヤノの仲良しグループシナリオかな。
このシナリオは不器用なはみ出しものの集まりって感じで、主人公が女1人で仲良しグループに混じってることにもさほど不自然さがなくて楽しかったように記憶してます。

隠しキャラのシナリオもなかなか良かったです。告白を卒業まで待つ理由も自然だったし(他キャラはもう付き合ってるだろこれって感じなので)、エンディング後に主人公とちゃんとカップルとして続いてそうなのもこのキャラだなぁと個人的には思いました。
隠しキャラシナリオは、ゲームとしては作業すぎてできることがほぼなかったのでその点だけちょっと残念でしたが。


 #Switch #ときメモ #神ゲー
Discordサーバーを立ててみたい自分と全力で止める自分
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以前、『今のインターネットのコミュニティは人の手に負えないサイズなのかもしれない』というエントリ(だいぶ初期の雑コラムなので今読むと文も内容もしっちゃかめっちゃかで恥ずかしい)で触れた某Discordサーバーに久しぶりにアクセスしてみたら、なくなっちゃってましたね。
サーバー主さん飽きちゃったのかな。残念ですが、お疲れ様でした。
そこは割と大規模なサーバーだったこともあり、自分が何か発言することは結局なかったのですが、ゼロ年代のケータイSNSみたいなクローズドで牧歌的な雰囲気をたまに眺めるのは結構好きでした。

せっかくDiscordのアカウントを作ったことだし、自分もサーバーを立ててみたいなという衝動に何回か駆られているのですが、これまでの人生経験に基づく諸々の理由で思いとどまっております。
これが年の功だといえばそうだし、挑戦してみたい気持ちや純粋な好奇心を摘む係の人が自分の中に常駐するようになってしまったとも言える…。

私が作りたいのは、小規模で(でも内輪ノリすぎず適度にオープンで)、あらゆる圧やしがらみがなく(もちろん出入りも自由で)、メンバーが絵や日常的なつぶやきを投下したり、まったりした時間軸で雑談したり、個人サイトを持っている人はサイトの話なんかを気楽にできるサーバーです。
一応、まだ諦めてはいません。方針を固めたらまずは期間限定とかで立ててみようかなぁ。

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以下は思い出話。

むかーし私が学生だった頃、当時流行っていたモバゲータウンという携帯SNSでそんな感じのサークルを自分で作って非常に楽しくやれていたのですが、ある日私が学校で合宿に行くことになり、携帯を使えない環境に2~3日いることがありました。
当時の私はケータイの虫でしたし、どうしても自分のサークルの様子が気になったので合宿最終日の夜にこっそり携帯を取り出して覗いてみることにしました。

それまで、ほぼ毎日メンバー達と楽しくおしゃべりしていたので、当然自分が見ていない間もサークルが盛り上がっていると信じて疑わず、「いや~私がいない間みんな何を話してるんだろうナ?(ワクワク)」なんて愚かにも思っていたのですが、現実には誰一人何も投稿しておらず水を打ったようにシーーーーーンとしていて大ショックだったということがありました。

これは当時の私が、サークルに入ってくれた人達は私との付き合いで or 私と話すために参加してくれたということを理解できておらず、自分以外のメンバー同士のコミュニケーション環境を全く考慮・整備していなかったにも関わらず、それを期待していたから起きたギャップでした。

みんなで楽しんでいたと思っていたこのサークルを”本当に”楽しんでいたのは自分だけだったんだと気づいて、恥ずかしいやら申し訳ないやらいろんな感情に打ちのめされたものです。

まぁ、そんなに大した事件でもないので今となっては楽しい思い出ですね。笑


#思い出 #インターネット #discord #平成
サイトを公開しないと気が済まないのは何故か考えたり

最近、「eポートフォリオ」というものを知りました。
大学生などが、学習したことの記録をオンラインで付けていくシステムのことで、学問版のライフログのようなものとも言えそうです。
eポートフォリオには学生同士や教員とコメントのやり取りができるものもあるようで、そのコメントのやりとり自体が新たな学習にもなって…そういうところはブログやSNSにも似ているのかな、と思いました。

それで、このeポートフォリオというものは、私が個人サイトでやりたいと潜在的に思っていることに近いような気がしました。
デザイン系でいう「ポートフォリオ」とはちょっと違うものなんですよね。

仕事を取る窓口やPR用の装備としての美しく整備されたきらびやかなポートフォリオ(デザイン系でいうところの)じゃなくて、自分の創作活動や思考の軌跡がパッチワークのように集まった記録と振り返りのできるデータベースみたいなものを作りたくて、そこにはダメだったテストの点数にあたるようなものとかもそのまま記録されちゃってて(笑)、それを完全オフラインで自己完結するのではなく、一部の同士や特定の層にはこっそりと公開しておきたい…という感じでしょうか。

eポートフォリオも同様だと思いますが、個人サイトやブログにも、”人に見られる”という前提があることで、完全に自己完結していた場合では得られない気づきがあることも多いです。
この文章も、自分だけが見られる日記に書いていたらおそらく、「eポートフォリオって私がサイトでやりたいことにちょっと似てるなぁ」と一言メモして終わりだったと思います。
(もちろん完全に自分専用のアウトプットの場があることには別のメリットがあるとも思ってます。)

このサイトのように、コメント欄がない一方通行のサイトやブログでも当然閲覧者の存在を意識しているわけですから、人に向けて書いて(描いて)いるというだけで多少なりとも双方向的な考え方をすることになり、自分ひとりで完結するよりも思考が広がる効果があるんじゃないでしょうか。そして私はそれを求めているということみたいです。

長年、「なぜ非公開では満足できず、公開サイトを作りたいんだろう」という疑問が自分の中にありましたが、その理由が今回ちょっとわかった気がします。

【追記】>>120


#モチベーション
イラスト生成AIとモチベーションについての考察

雑な考察ですが、イラスト生成AIは内発的動機付けで絵を描いてた人の(原始的な)創作意欲をかえって刺激して、反対に外発的動機付け(ポジティブな言い方をすると不特定多数の閲覧者に喜んでもらいたいという動機を前面に描いた絵に対し、その期待に見合う数の反応を貰えるのが嬉しいというある種のサービス精神など)で絵を描いていた人を萎えさせているのかもしれないと思いました。

🔽 参考:動機づけについて
Web拍手の罠 ~心を支配されないために~ (xrea.com)

殆どの人はどちらかに100%振り切っていることはないでしょうから、その人の中でよりウェイトを占めていた方がAIによりブーストした形になったのでは。
私自身(近年は)極力、内発的動機付け優位に絵を描けるよう意識していますが、それでもサイトを公開している以上外発的動機付けが全くないということはないですから、やっぱりその分は意欲が萎えたのは事実です。
でもダメージが大きかったかというと全くそんなことはないですし、AIの登場により自身の創作意欲の原点を振り返ることができた、といったポジティブな影響の方が大きかったです。

ことデジタルイラストについては、純粋なアマチュア(自分が満足してればそれでいいアーティスト気質の人)はほぼ無傷で、セミプロくらいの立ち位置の人(クライアント=閲覧者に気に入ってもらわなければ無意味というビジネスマン気質の人)が一番ダメージを受けているような気がしてます。閲覧者というパイを奪い合う強力な敵 -それも人間よりもはるかに速いスピードで上達していく- が増えたわけですから。
自分の名前自体が付加価値を生んでるような、本来の意味でのプロフェッショナルの人たちはうまいこと折り合いつけていくんだろうなぁと思いますが。

これってきっと、絵やマンガがデジタルツールの進化でアナログと遜色なく、かつアナログよりも(工数という意味では)簡単に実現できるようになった時代にも一度通り過ぎた議論なんでしょうね。
デジタルに適応した人もいれば、アナログで描き続けてる人もいるし、それがプラスに転じた人もマイナスに転じた人もいるわけで。
余談ですが私がデジタル絵を始めたころは、まだデジタルツールは線の表現が乏しかったので、線だけはアナログで描いてそれをPCに取り込んで塗りだけデジタルという手法が主流でした。

結局、自分の好きにやったらいいとしかいいようがない、ということですね。

#創作全般 #モチベーション #AI
描くのはやめても画材は捨てない
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最近、絵を描くときに余計な力が入っていることに気づいたので脱力した何かを描きました。
ふと水彩絵の具を使いたくなったので引っ張り出してきましたが、画用紙に向かうと「ちゃんと描かなきゃシンドローム」が発症して何も描けなくてダメなので、普段使ってる日記帳に描きました。

この線質(ゆるしっかり?した線と自分で呼んでます)がすごく気に入っているのですが、何度か試してみたけどデジタルではどうしても再現できないんですよね。
裏に文字が透けてる(内容はマジでしょーもないので決して解読しないように。)のと撮影が下手なところもなんだかんだエモくて自然体な感じがしてお気に入りです。

なんかこういう、”むき出し”みたいな絵を描きたい気分がしばらく続きそうです。
AIの件についてブログ記事を書いたことで、自分が絵を描きたかった初心みたいなものが思い出せた気がします。

今まで紙の日記に描いたような絵はサイトに載せてこなかったですが、今後は見せてもいいかなと思えるものは気楽に載せていってもいいかもしれないですね。
こんなものを不特定多数に公開できちゃう媒体ってインターネット以外ないんじゃないでしょうか。開き直って個人サイトをやってるメリットを最大限に活かしていくのも良い。
最近、絵を載せるために必ずしも「作品」を描かなきゃと思わなくていいのかもな、と思うようになってきました。

ところで私はどんなに断捨離したい波が来ても、絵に飽きても(定期的にどうでもよくなる波が来ます…)、画材だけは捨てないようにしてるのですがまたそれに助けられました。
これもそんなに高い絵の具じゃないですが、いちいち買いなおしてたら結構バカにならないですから。
もちろん、画材を捨てない(捨てられない)のはお金の理由だけではないですが。

久々に引っ張り出してきた絵の具の色ごとの消費量とかを見て、あぁ、この色はよく使うけどこっちの色は全然使ってなかったんだなとか、そういう感覚やクセみたいなものがすぐ蘇るのも良かったですね。
こういうのはアナログならではの利点かも。


#らくがき #創作全般 #透明水彩 #アナログ #絵日記 #片付け
イラスト生成AIについて思うこと(追記)

AIのおかげで絵を描くのが馬鹿らしくなってきた話

先ほど更新したばかりのこのブログ記事、我ながら面白く書けたんじゃないかなと思います。
ただ、特に主張があるわけではなく、ぼんやり考えていたことを雪だるまのように転がしただけなので最後が尻すぼみな感じにはなってしましたが。
タイトルはなんとなくつぶやくようなノリで決めたので反AI派っぽくなってしまいましたが、読んでもらえばわかる通りそうでもありません。
かといって親AIでもないですが。(芸術分野においては。)

確かにデジタル絵を描くのはちょっとモチベーション落ちました(というか描く意義の一部は失われた)が、それでもデジタルツールには画材道具としての利便性や相性の良さというのもあるので、一概にアナログ絵にすぐ乗り換え!とはならないかな。でもアナログ絵への興味関心は確実に増しました。

これは本当に余談ですが、ハンドメイド(手芸)を趣味にしたいと思ったのも、今のようなAIが出てくる前から既に「このままお絵描きツールが進化し続けたら、自分が描く意義や絵の上達を目指す意義はなくなるから、今後は自分にしか作れない上に2つとして同じものがないものを作りたい」という思いがあったのも一つの理由です。
手作り品は同じ材料で同じ設計図で同じ人が作っても全く同じものは2つとして作れないですから。
当時はAIじゃなくてクリスタの高機能ぶりや3Dポージングモデルの存在なんかを知ってそう思い至った記憶があります。その機能が自分の作風ややりたいことにはあまり関係ないのに脅威に感じたという点も今回のAI騒動と同じですね。

結局は描くこと自体が楽しいし、サイトに絵を載せるのが好き(=モニタではデジタル絵の方がきれいに見える)ということもあり、デジタル絵もマイペースで描き続けてるのですが。

ブログを書いた後に少しAIイラストについて調べてたのですが、面白い記事があったのでシェアします。
【AIイラスト】1万枚生成して分かった「できる事」と「できない事」【絵師失業?】 | しぐにゃもブログ

イラストの作者が人間かAIか当てる激ムズクイズが登場、画像生成AI熟練編集部員による見分けポイントとは? - GIGAZINE


あと、転載系ブログしか出てこなかったのでここには貼りませんが、「イラストAIはラーメンを食べている絵がどうしても描けない」という話題も興味深かったです。
この話題では食べ物を粗末に扱ってるようにも見える画像が出るので苦手な人は注意してくださいね。

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ブログにも書きましたが、今後プロセス重視派はデジタルアナログともに手描きで、結果重視派(あるいは描きたくて描くのではなく必要だから描くもの)はAIを活用していくことになるのでしょう。

私は美麗絵よりも、人の温度感とか隙(抜け感ともいうのかな?)みたいなものを感じる絵の方が好きなので、自分の作品にAIを取り入れるかは未定ですが、アイデア出しに使うというのはいいですね。
しかし一つ気になったのは、AIの学習に人の著作物を使うのは問題なくても、その生成物に元の著作物とそっくりなものがある可能性がないとは言い切れず、AI製だからといって安易にフリー素材扱いして大丈夫なのか…?ということです。
法整備も間に合ってなさそうですし、まだ様子見といったところでしょうか。
絵師の“AI学習禁止宣言”に意味はあるのか? AIに詳しい弁護士に聞いてみた(1/3 ページ) - ITmedia NEWS

私もAI学習のモデルに作品を勝手に使うの禁止!をプライバシーポリシーに記載していましたが、AIの学習フェーズに著作物を使われることを一方的に拒否することはできないというのをこの記事で初めて知りましたので、ついでにプライバシーポリシーも改訂しておきました。
拒否する権利がないのは理解しましたが、あまり気持ちのいいものではないと思っていることは、ただの意見としてここに一応明記しておきます。
学習の結果生成された物が元作品にあまりにも酷似していたら文句を言う権利はあるようですが、それはもうAIが介在していようがしていまいが関係ないことなので、AI関連の記載はバッサリ削除しました。

AIが作ったものに著作権はないとのことですが、どうしてもどこかに必ずいるであろう、その学習元になった作品たちの作者さんのことがチラついてしまいます…。
弁護士さんに言わせれば「感情論」だそうですけどね。

ところで、個人的にAIには興味があるので所謂リカレント教育的なものでAIについて今現在かるーく勉強していたりします。


#創作全般 #AI #モチベーション
AIのおかげで絵を描くのが馬鹿らしくなってきた話

個人的に好きで追っている動画投稿者さんが、動画内でAI生成と思われるイラストを使用されるようになりました。(動画のリンクは文末に。)

最初はイラストレーターに外注するようになったのかな?と思ったのですが、

  • 絵があまりにもピンポイントに動画の内容状況に合っている。しかしその割には、状況設定に対して微妙に容姿や服装などが曖昧(オーダーメイドのイラストとしては詰めが甘いのに、素材にしては汎用性がなさすぎる)
  • いち個人が頻繁に投稿しているうちの一動画に利用するためだけに外注したのだとしたら、絵のクオリティの高さ(リアルタッチで、レタッチ風とはいえ背景まで描いてあり、テクスチャ処理なども凝っている)に対して枚数が多すぎるので予算がかかりすぎているように見受けられた


などの点で、途中からAI生成の絵であることに気がつきました。
一度気づいてしまうと、リアル系の絵柄なのに顔が歪んでたりして「あぁ、AIだな」とすぐにわかるのですが、最初は全く違和感なく受け入れてしまいました。
(私はSNSをやってないのでAI製のイラストを見慣れていません。AIイラストブームをタイムラインなどで追いかけていた人ならきっと一目見ただけでもわかるのだと思います。)

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その動画で使われていた絵は重厚かつちょっと水彩風のアクセントが効いた赴きあるタッチで、いい絵なんですよね。どうやってAIに指示したんだろう。
シリアス系のアドベンチャーゲームなどのスチルにでも使われそうな雰囲気で、例えば私は「流行り神」とか「シュタインズゲート」とか「グノーシア」なんかの絵柄を連想しました。

素人考えでは、AI(コンピューター)はデッサンを完ぺきに描いたりする方が得意で、雰囲気を出すのは人間の方が得意なんじゃないかと思っていました。
でも実際にAI生成された絵を見ていると、”ぱっと見の雰囲気がすごく良くて、よくよく見るとデッサンが狂っている(こともある)”…という、”雰囲気重視”の思考をしていて、学習していくプロセスなんかもすごく人間臭いなと思ってしまったのです。
人間もほとんどの人がまず好きな絵の雰囲気をまねることから入って、デッサンの正確さから入る人なんて殆どいないと思うので。

表題の話について。

私はAI生成イラストが話題になるよりも前から「上手い絵」とか「美麗な絵」、「商品価値のある絵」を描くことには既に見切りをつけていて、「描いていて自分がいかに心地よいか」とか、「手描きのゆがみ感や筆致の拙さやラフさを自分で愛でて楽しむ」とか、「単に体験や頭の中のイメージの整理」とか、そういうところに自分が絵を描く価値を置いていました。
ですので、AIに個性や仕事が奪われて~とかそういう心配はしていないというか、そもそも自分はそういったことの蚊帳の外にいる人間なんだと思ってます。(要は自己満足で絵を描いているということです。)

それでもAIの描いた絵の存在に妙な居心地の悪さというか、自分のアイデンティティが蝕まれていってしまうような焦燥感を感じてしまうのは不思議ですね。これまで”頑張ってきた”という自負から来るちっぽけなプライドなんでしょうか。昔は頑張って絵を描いていた時期もあったので…。
今現在私の場合は、作風的にも実務的にも、AIと競合していることは殆ど何もないわけですから。
一つ言えることは、”人間臭さ”のある絵を描いて楽しんでいたのにAIが想像以上に人間臭い絵を描いてきたことに打ちのめされた、というのはあると思います。上手い下手の問題ではないのです。
今はまだ自分や自分の好きな作風がAIに模倣されていないので冷静でいられてる部分も大きいと思います。

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私の好きな画家のひとりに永沢まことさんという方がおられました。(今年お亡くなりになっていたようです…。)
この方の著書の中に、 ”「光と影で描く西洋絵画は写真に敗北した。”光と影”が本当に絵の根本を支えるものであるなら、写真の登場程度で揺らぐことはなかったはずだ」” という趣旨の一節があります。
私はこれを“光と影”(リアリズム)は絵のコアだと信じられてきたけど、実際には単なるオプションに過ぎなかったのだというように理解しているのですが『光と影』の部分を、『すべての工程を人間が考えて描くこと』などに読み替えると、今まさにそれと全く同じことがAIとデジタルイラストの描き手の間で起きているように感じられると思いました。
(それ以前にフォトバッシュなどが登場したときも同じような流れがあった記憶がありますが、それでもフォトバッシュやコラージュなんかは一部の技術を持った人にしか扱えないものでした。AIによるイラスト生成はあまりにも簡単で誰にでも行える点で写真登場の衝撃と似ているのかなと思います。)

リアリズムがかつては(少なくても西洋絵画では)絵の必須条件だったのに、今はそのように描くこと自体が好きな人以外には写真で事足りてしまうのと同様に、あと10年くらいしたらもう”全部自分で描くのが好きな「物好き」”以外にはAIでいいというか、AIを使わない理由がない、AIで当たり前、AIを恐れるという感覚がよくわからないという雰囲気になっていくんじゃないでしょうか。

例えばですが、洋服なんかも買った方が早いし出来もいいので今ではほとんどの人が当たり前に大量生産品を買いますが、昔は手作りするのが当たり前だったし、今でも一定数自分で作る方が好きな人はずっといるわけです。
そんな風に、AIを使わないことで絵を描くことは時代遅れなことになる、というよりも、ちょっと贅沢な趣味みたいなポジションに落ち着くのでは。

少し話は逸れますが、永沢まことさんは線描で一発書きすることで出る心のゆらぎや勢いをダイレクトに絵に表すことに拘っており、私もその思想に強く影響を受けています。

絵を描きたいあなたへ 道具の選び方からスケッチ旅行のノウハウまで (講談社+α文庫) Kindle版
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そんなこんなで、これまで私は『簡単にやり直しと試行錯誤ができること』 『道具の準備片付けが不要で作業場が散らからないこと』 『モニター上での見栄えが良いこと(ネットが好きだったので重要だった)』 などの点が気に入ってデジタル絵を描いてきたのですが、絵を描いてきた時間が長くなるにつれて、また時代が変わっていくにつれて、それらのメリットに絶対的にこだわる必要もなくなってきたと感じています。
これからはデジタル絵よりもアナログ絵にシフトしていくのも魅力的かもしれない思い始めてきました。

なんとなくですが、これからは商業作品用やグッズ用、動画用などの”実用的”な絵はデジタル+AIでより効率的かつ美麗に描かれるものが増えていき、趣味や自己満足などのために描く人はその唯一性や描くプロセスそのものを楽しむためにアナログ回帰していく人が増える流れが来て、絵の使用目的別に制作方法が二極化していくんじゃないかなぁとも思いました。
「同じものが2つとしてない」ことや、「実物がそこにある」ということに価値を見出す人が今後ますます増えてくるのかなぁ、と。ハンドメイドが流行るのにも通じているような。
NFTとかはなんかキナ臭いので知りません。

あと、AIの描いた絵を見るに、コンセプトアートやソーシャルゲームのキャラクター絵みたいなのは得意そうだけど、線がハッキリしたシンプルな絵は苦手そうでしたね。(足し算の作風は得意だが引き算の作風は苦手とも言えそう)
ですので、単純明快なタッチやアイデア勝負が多いキャラクターグッズとかのデザインなんかはまだしばらく人間のフィールドなのかなぁという印象も受けました。

【追記】>>112


#創作全般 #モチベーション #AI #めんどい思考
編み物のここが好きという話とか

昨今「推しぬい」なるものがいろんな人に作られてる(…よね?)のに対して、「推しあみ」はあまり(というか全く)聞かない理由をなんとなく想像してみました。

裁縫も編み物もまったく初心者だという人を想定したとき、おそらく0から1の状態に持ってくるのは裁縫の方が簡単だからじゃないかなぁと思いました。
(1から10や100にしていくのはその人の好みや適性次第なのでほんとに入口の話)

裁縫はほとんどの人が家庭科で経験しているし、複雑なものでなければ、完全に自己流でも多分最低限なんとか形にすることができてしまうと思うのですが、編み物は基礎的なルールを覚えるまでは全く何も作れませんので、そこが参入障壁の高さの違いになってしまっているのかなと思いました。

実際私も「何かハンドメイドを趣味にしたいなぁ」と漠然と思っていた頃は、編み物より先に裁縫に手を出しましたから。(それより前は羊毛フェルト🐏)

基本的に私はせっかちで雑な人間なので、裁縫の針で手を刺すストレス(羊毛フェルトもこれがダメだった)、一度布を裁断してしまったらやり直せない不可逆性、道具を散らかしてしまうことなどが合わず、これは私の手には負えないぞとすぐに見切りを付けてしまいました。

その点編み物ならケガもしないし、いくらでもほどいて編みなおせるし、狭い場所や机のないところでもできるし、慣れればYoutubeなんかを見ながら片手間にできるところなど、いろんな面で自分に合っていました。
編み物は0から1の壁さえ超えられてしまえばとてもシンプルですし、単純作業的な面と考えながらやる作業のバランスもすごくちょうど良いです。
あとこれは個人的なフェチですが、作ってるうちに作品が3Dプリンターみたいにだんだん積層して浮き上がってくる感じがたまらなく楽しいんですよね。

とはいえ、私自身かぎ針編みで既製編み図のアレンジやオリジナルの作品がなんとなく作れるようになるまでに結構な時間が掛かったので、手っ取り早い趣味ではないのは間違いないです。

ところで、amidollという単語の入ったドメインを確保しているので、いずれ作品が増えてきたらあみぐるみのギャラリーは別サイトに簡易的にまとめようかなぁとも考えてます。

もともと私はドールやフィギュアみたいなお人形タイプのあみぐるみを作りたかったのですよ。
(ちなみに”推しぬい”という概念はごく最近知りました。裁縫が得意だったら作ってみたかったかも)

人形タイプのあみぐるみは一般的に「ヒトガタ」って呼ばれてるみたいなんですが、それだとなんか神道的というか(式神みたいなのを連想してしまいます…w)、ちょっとしっくりこないので自分で勝手に「あみドール」って呼んでたのが由来ですね。

自分の理想のドールタイプのあみぐるみを模索していろいろ苦戦してるうちに、サイト作りにハマったり、絵描き熱が出たり、あみぐるみよりも小物やウェアづくりにハマったりして、やや諦め気味だったのですが最近またあみぐるみ熱が出てきたので、今度は近いうちに理想に近いあみぐるみドールを作ってお披露目できるかもしれないです。
今はマスコット的なものしかギャラリーに載せられていないですからね。(これはこれで気に入ってるのですが)

ドメインは2年間1円で取得できたので2年以内にギャラリーが作れる程度に作品増やせるのを目標にしています。(少なくともオリジナルを3作品くらいは…)

あみぐるみを別サイトにしてもブログやMemoは共通にすると思います。
ひとことすら既に持て余してるので、これ以上更新する場所が増えても手が回らず埃が溜まることになってしまうのが目に見える…。
名義とかも器用に使い分けたりできないタイプなので…。

でもそれなら別ドメインにしなくてもサブドメインでいいじゃんって気もしなくもないですが。
いやそれどころかこのサイトでギャラリーのページを絵とハンドクラフト作品で分ければそれで十分な気もしてきました…。
それなら名刺とかに載せるURLも1つで済みますし。(今のところ名刺作る予定皆無ですが)

もし別サイト作るなら今度はWordPressじゃなくて静的サイトに挑戦してみたいですね。
ドシンプルで爆速のやつ。それこそJamstackに挑戦してみてもいいし。


#自分語り #かぎ針編み #編み物 #趣味
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